「フロイトに還れ」を旗印に20世紀以降の精神分析学の一大潮流を作ったラカンの20年にもおよぶ講義の11年目の講義録。精神分析の四つの基本概念である「無意識」「反復」「転移」「欲動」について、分析家の養成を目標に置きながら講義がすすめられている様子をのぞき見できる。読み通しての驚きはいくつかあって、そのなかで一番に来るのは講義録での語りのことばと著作『エクリ』などに収められたラカン自身によって実際に書きしるされた文章との差異。この講義録のなかでは10ページ程度の「後記」がラカンが書いた文章で、その書き方は錯綜していて、何かを明確に伝えようとする意志とは別のものが感じられる。ラカン派精神分析の特徴把握については本書だけではこころもとなくとも、ほかの講義録や解説書を読んで行けばどうにかなりそうではあるが、ラカン自身の著作に親しみ、難解さの意味を味わうのはハードルが高いように感じた。とりあえず『エクリ』に手を出すのはやめておこうと決めることができたのが、本書を読んだひとつの成果である。
講義の中心課題である四つの概念は箇条書きで明示するようなかたちは取られていないので、他の講義録を含めて徐々に親しんでいく必要があるように思えたが、本講義録の中では、これらの基本概念をめぐって先行する思索者たちに言及する部分が単独でも興味深く読むことができた。フロイトは別格として、ソクラテス、プラトン、モンテーニュ、デカルト、スピノザ、カント、ヘーゲル、ハイデガー、メルロ=ポンティ、リクールなどへの精神分析学側からの言及はそれぞれ刺激的だ。同時代人としてラカンによって解釈され直された思索者たちの思索は、新たな現代性をまとい講義録の中に新鮮に配置されている。文庫化にあたって翻訳が改訂されたこともいい方向にはたらいているのかもしれない。
「理性の声は低い、しかし、いつも同じことを語る」とフロイトはどこかで言っています。フロイトが無意識の欲望についてまったく同じことを言っているのだ、と結びつける人はいないのですが、無意識の欲望においてもその声は低い、しかし、その執拗さは不滅なのです。つまり、おそらくその二つの間に関係があるということです。
(下巻 「〈他者〉の領野、そして転移への回帰」XIX 解釈から転移へ p299 )
上はフロイトの「ある錯覚の未来」のなかのことばを引いて、ラカンの考えを付け加えている部分。理性と無意識の関係性を示唆することで、読むもの聞くものに新たな刺激を与えてくれている。ラカンの有名な定式で「無意識は一つの言語(ランガージュ)として構造化されている」というものもあるが、理性の推論も無意識の表象操作も根源的な抽象化作用の現われで、直接眼に見えず操作することもできないが、人間のはたらきを基本的に左右することで通じているというようなことを思わせてくれたりもする。
目次:
[上巻]
I 破 門
無意識と反復
II フロイトの無意識と我われの無意識
III 確信の主体について
IV シニフィアンの網目について
V テュケーとオートマトン
対象aとしての眼差しについて
VI 目と眼差しの分裂
VII アナモルフォーズ
VIII 線と光
IX 絵(タブロー)とは何か
[下巻]
転移と欲動
X 分析家の現前
XI 分析と真理、あるいは無意識の閉鎖
XII シニフィアンの列の中の性
XIII 欲動の分解
XIV 部分欲動とその回路
XV 愛からリビードへ
〈他者〉の領野、そして転移への回帰
XVI 主体と〈他者〉──疎外
XVII 主体と〈他者〉(Ⅱ)──アファニシス
XVIII 知っていると想定された主体、最初の二つ組、そして善について
XIX 解釈から転移へ
このセミネールを終えるにあたって
XX 君の中に、君以上のものを
編者説明文
後 記
講義要約
著者:ジャック・ラカン
1901 - 1981