読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

メイ・サートン『独り居の日記』( 原書 1973 武田尚子訳 みすず書房 1991, 新装版 2016 )勇者をはぐくむ繊細な日常

小説家で詩人のメイ・サートン五十八歳のときの一年間の日記。小説上で自身の同性愛を告白したために大学の職を追われて田舎に引きこもった際の日々が率直に記録されていて、力づよい。生活と精神に芯のある人間の飾らないことばは、ときどき読み返したくなる。「自分自身であることの勇気」「永遠の子供」の「無垢」というのは訳者武田尚子のサートン評。なかなか近寄りがたい感じもある人物だが、文字を介したふれあいだと、一挙に心をつかまれる。

芸術とか、技術のいろはさえ学ばないうちに喝采を求め才能を認められたがる人のなんと多いことだろう。いやになる。インスタントの成功が今日では当たり前だ。「今すぐほしい!」と。機械のもたらした腐敗の一部。確かに機械は自然のリズムを無視してものごとを迅速にやってのける。車がすぐ動かなかったというだけで私たちは腹を立てる。だから、料理(TVディナーというものもあるけれど)とか、編み物とか、庭づくりとか、時間を短縮できないものが、特別な値打ちをもってくる。
(九月十七日)

正論だが、だいぶ手厳しい物言いだ。時代が約五十年下って、場所も日本の賃貸マンション暮らしとなると、機械についてはだいぶ発達してはいても、自然のリズムからはだいぶ離れ、より貧相でより忙しない生活になってしまっている。インスタントの成功もついつい欲しくなる環境だ。編み物とか庭づくりとかやる心の余裕もなく、やったとしても心底満足できるかどうかはなはだ怪しい。どうすりゃいいんすかねえと甘えたら、たぶん嫌な顔されながら𠮟られるだろう。メイ・サートンの日記の主題のひとつは孤独で、孤独の時間も短縮できないものであるけれど、特別な値打ちをもってくるまでうまく飲み込んでいられるものかどうか。メイ・サートンは孤独の価値も認めているので、孤独をうまく飲み込める技術の持ち主なのだろう。盗めるものであればその技術は盗みたいものだ。真似ができるとすれば読んだ本を思い浮かべて、引用しながら考えることくらいだけれど、孤独は強敵なのでたまに勝つくらいで良しとしなければいけない。

 

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メイ・サートン
1912 - 1995
武田尚子
1933 -