読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

落合陽一を読み返す 『魔法の世紀』(2015)『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』(2018)

落合陽一の主著二作を読み返す。圧倒的計算力を基盤にした計算機主導の環境変革のありようが描出されている。言語よりも計算に信を置く立場ながら、言語で書かれた書籍としての完成度は高く、時代の動きに触れられる記念碑的な作品となっていると思う。インターネットやテクノロジーにより人間を相対化する視点は、まだまだなじみが薄く、奇異な印象を受ける場合もあるのだが、先端的な研究は魔術のように見えるというところを押さえながら読み込んでいけば、単純に反発するのもまたそれはそれで問題ということが了解できる。

我々の論理と感覚のフレームは人間の処理能力と生得的解像度による量子化を突破し、インターネットに接続された自然の上に展開される。それは、いまの映像的なフレームで切り取る自然ではなく、フレームの外へ飛び出した自然の形である。
(『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』終章「思考の立脚点としてのアート、そしてテクノロジー ――未来を予測する最適の方法としての」p226-227 )

人間中心的なフレームの外を語るときに参照されるのが『華厳経』であり老荘のテキストであり禅的世界につながる侘寂の文化的蓄積であったりするところは、古い時代の人間にとっても連想を働かせやすくされてくれているのだが、このへんの言語側の表現もより充実させていってもらうと嬉しい。新しい連載もはじまっているようなので、展開が期待される。

 

wakusei2nd.com

 

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目次:

『魔法の世紀』( PLANETS 2015 )

第1章 魔法をひもとくコンピュータヒストリー
第2章 心を動かす計算機
第3章 イシュードリブンの時代
第4章 新しい表層/深層
第5章 コンピューテショナル・フィールド
第6章 デジタルネイチャー


『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』( PLANETS 2018 )

まえがき

第1章 デジタルネイチャーとは何か
――オーディオビジュアルの発明、量子化、デジタル計算機、そして計算機自然、デジタルネイチャーへ

第2章 人間機械論、ユビキタス、東洋的なもの
――計算機自然と社会

第3章 オープンソースの倫理と資本主義の精神
――計算機自然と自然化する市場経済

第4章 コンピューテーショナル・ダイバーシティ
――デジタルネイチャー下の市民社会像、言語から現象へ

5章 未来価値のアービトラージと二極分化する社会
――デジタルネイチャーは境界を消失させる

第6章 全体最適化された世界へ
――〈人間〉の殻を脱ぎ捨てるために
終章 思考の立脚点としてのアート、そしてテクノロジー
――未来を予測する最適の方法としての

あとがき 汎化と遺伝子と情報

 

落合陽一
1987 -