読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

セネカ『神慮について』( 原著 64, 岩波文庫 1980 )神々と人間が水平にいる世界観

『神慮について』は茂手木元蔵訳の岩波文庫旧版『怒りについて』に収録されている一篇。東海大学出版会の『道徳論集』にも収められている。

「神慮について」の原題は"De Providentia"。「神慮」は「摂理」とも訳される神学用語。セネカが神を語るときに想定しているのは、キリスト教の神ではなく、思想的にはソクラテスと同一地平上にあるギリシア・ローマの神々。気にしなくていいことなのかもしれないが、想定する神によって現世の構成や関係性も変わってくると考えておいたほうがよいようにも思う。

善き人のなすべきことは何か。自分自らを運命に委ねることである。宇宙と一緒に運び去られることを思うと、大きな慰めである。このように生き、このように死ぬことをわれわれに命じたものが何ものであろうと、それは同じ必然性によって神々をも縛る。変更することのできない進路が、人間のことも神々のことも同時に運んでいく。
岩波文庫旧版『怒りについて』「神慮について」p212 )

神も創造物も同じ摂理、必然性に従う。この等価性、対称性を保った思考の回路にとても現代的な印象を受ける。

 

セネカ
B.C.1 - 65
茂手木元蔵
1912 - 1998