名画に描かれた手の部分200点を切り出して、手の表現力に眼を向けさせる一冊。顔と手は衣服をまとわないがゆえになまめかしいというところから、絵画の中の手を凝視する。一通り手のクローズアップを解説付きで通覧したあと、176ページ以降に掲載作品一覧として1ページ6点ずつ全体像が示される。そこで出会う作品はやはり手の表現がより強く意味を持ったものとなっている。作品自体は変わらないので見るものの見方が森村泰昌によって編集更新されている。森村泰昌の強い磁場の中で名画を見直すことになる。それだけでも企画としては優れたものであると感じるのだが、森村泰昌はそれだけでは済まない。本文では扱わないものの、PROLOGUE以前の導入のページ構成部分に先行作品を真似て作成された自身のポートレート作品の部分ショットを見事に混入させていたものを、掲載作品一覧のページで全体像として回収しているのだ。自分自身の痕跡を過剰に残したまま先行作品の物まねポートレート作品を作るという森村泰昌の方法は、単独作品でも訴求力が強く、異質感、過剰感、違和感、生もの感が濃いのだけれど、その作品が見開き12作品並ぶと作家森村泰昌の特異性がより際立つ。自然美と人工美の間の混合美、瞬間的にしか成立しない混合美と不安やおぞましさを喚起する不気味さの境界のせめぎ合いが演出されている。親和性と違和感がもっとも競合し、もっとっも否定しつつ肯定し変容し合う見てはいけないような空間がつくりだされている。ロボット工学の森政弘が提唱した人間と人間以外のものとの親和性の比率のなかに出現する感性の壁ともいえる「不気味の谷」の現象に積極的に戯れようとしている森村泰昌が感じられる。マイノリティのひとつの正攻法としての表現の成果なのであろう。特徴が特にないということではマジョリティとして雑に括られてしまう一般鑑賞者としては、翻弄されることで逆に立ち向かうほかはない。
森村泰昌『手の美術史 MORIMURA METHOD HANDS & FINGERS IN ART MASTERPIECES』
目次:
PROLOGUE「手」を語る「手」が語る
Ⅰ 手の誕生 レオナルドの素手がつかむもの
Ⅱ 手の礼賛 色とりどりの「手」が開花する
Ⅲ 手の破壊 カラヴァッジョの痙攣する手は地獄門を開く
Ⅳ 手の復権 日々の働く手が美しい
Ⅴ プラドの手 色彩と光に溶け込む手が予兆するもの
Ⅵ 手練手管の手 きれいな手の値打ち
Ⅶ 手の変容 幸せな手、不幸な手
Ⅷ 手の解体 手は、岩でありダイコンであり紙片である
EPILOGUE「手」達よ!
森村泰昌
1951 -