読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【読了本三冊】加藤郁乎編『吉田一穂詩集』(岩波文庫)、廣松渉+加藤尚武編訳『ヘーゲル・セレクション』(平凡社ライブラリー)、ティル=ヘルガー・ボルヒェルト『ヒエロニムス・ボスの世界 大まじめな風景のおかしな楽園へようこそ』(PIE International)

書くより読む優先の時間配分が続く生活のなかで、読後感想をまとめる時間に向きあうために超えなくてはならないハードルが高い。しかし、書かないと読んだことの定着が落ちる。消えてもったいないかもしれないと思うことはとりあえず記録しておく。


加藤郁乎編『吉田一穂詩集』(岩波文庫 2004)

おそらく全集以外では吉田一穂の詩業の全体像を把握するのにいちばん適した一冊。とにかく詩作品の収録数が突出している。かつて地軸が30度傾いたころに存在した古代緑地に対する幻想の文章(散文)にページをほとんど割かず、詩人の詩篇を愚直に並べた加藤郁乎の編集方針は称えられてよい。詩人は、思想ではなく詩自体で評価されるべきだと思うからだ。一穂七十四年の生涯で、しっかり一冊に収まる詩業。詩は短いことにこそ価値があると発想し思索し実践した人物の、良質な核心を伝える一冊。現在品切れ状態なので、図書館経由で触れていただき、気に入ったら再販時に購入していただければ常時書店に並ぶきっかけになるかと思う。日本のマラルメと言ったら誉めすぎか。

白と灰の地平の寂しさに私は馴れてゐる。地は全く死女の面のやうに蒼褪めてゐる。あゝ遠い七月の夜の月光を、月見草は知つてゐるに違ひない。今深い地の中で、彼女はその花々の寝息のうちに夜の冷たい光を吸引してゐるであらう。
(石と魚「猟人日記」 p125 )

今回読んで気がついたことひとつ。吉田一穂の視覚詩はおそらく俳人高柳重信に影響を与えている。吉田一穂『薔薇篇』の「Delphinus」中の二作品は、形状的にはそのまま高柳重信の視覚重視の俳句作品に受け継がれている。いい伝統、いい継承、いい引用だ。こうしたものは受け継いでいかないといけない。無限継承は文芸にあってはむずかけれども。


【付箋箇所】
霧、挽歌、楡、無明、業、非存、泥、白鳥、石と魚「猟人日記」、地下鉄のある町 10、 荒地、新約、空中楼閣

www.iwanami.co.jp

吉田一穂
1898 - 1973
加藤郁乎
1929 - 2012

 

廣松渉加藤尚武編訳『ヘーゲル・セレクション』(平凡社ライブラリー 2017)

ヘーゲルの著作からひとつ1ページくらいの引用を積みあげてヘーゲルの思想の全体像を浮かび上がらせようとしたアンソロジー廣松渉による章立てと章ごとの導入文はかなり厳めしいものの、ヘーゲル自身のことばは予想以上に読みやすい。有でも無でもない成の思想、矛盾をはらんでいるからこその運動という視点が印象深く残る。ほかには、市民社会と家族との融合形体としての国家が理性の実現体として最高のものであるという主張があって、そこはホントかねと疑いを持ちつつ読みすすめていたが、たとえば自由についての以下の文章と合わせて考えると、ヘーゲルの国家推しも理解できるような気もしてきた。

人格の他の人格との共同[Gemeinschaft 相互作用]は、本質的に言って、個人の真の自由の制約[Beschränkung]とみなされるべきではない。人格の他の人格との共同は自由の拡張とみなさるべきである。最高の共同こそが最高の自由である。
(『理性の復権――フィヒテシェリングの哲学体系の差異』からの引用 p260 )

いままで必要以上にヘーゲル哲学の転倒みたいなスローガンを読まされてきたので、ヘーゲル哲学をまともに読んだこともないくせにヘーゲルの思想を忌避していたところがある。しかしながら、岩波文庫ヘーゲル『哲学入門』を読んでヘーゲルの面白さに少し気づき、また最近では、長谷川宏訳の『美学講義』を読みたいという思いが湧いてきたところで、ヘーゲルに向き合うための準備としての一冊を求めていたところに、ヘーゲル自身の文章からなる軽めのアンソロジーで思索活動全体を概観できたのはありがたかった。人のイメージではなく、自分でイメージしたヘーゲル像がぼんやりではあるができてきた。ヘーゲルに対抗して自分の主張を押し出そうとしてきた過去200年の人は概ねヘーゲルに対しては排他的だ。ヘーゲル自身はもっと間口が広い。自分寄りにまとめあげる傾向はあるにしても、すべてを呑み込む大きさがある。大きいものにはとりあえず身を委ねてみることも経験だ。まかれてしまった大きなものからも離脱する自由さえ容認していそうな大局観がなんとなく匂っている。やさしさではなく、観照の極地としてのフラットな眼差し、思考の枠組み。世間一般の感覚からすれば、めずらしいひとであるには違いない。変わってるなという風に思われないような思索家の思索は、やはり思索というのには当らないのだろう。認識のショックは思索の差異、思考の差異を感じることがなければ起こらない。
たとえば、軽いものではあるだろけれど、一読者として、この書籍で新たな認識に至ったといえるのは、いままで知らなかったヘーゲルの著作の重要性に気付けたところ。先の引用元の『理性の復権――フィヒテシェリングの哲学体系の差異』、また労働についての重要な記述を含む『実在哲学』。専門家でなければ読むことのないであろうような未邦訳著作の姿を窺い知るきっかけになるだけでも本書の意味はありそうだ。

人間に残された労働工程はそれ自身、いよいよ機械的になっていく。労働が軽減されるとはいっても、それは全体に対してのことであって、個々人に対してではない。個々人にとってはむしろ、労働が増大する。というのは労働が機械的になればなるほど、労働の価値がますます下落することになり、彼はますます[…]労働せざるをえなくなるからである。
(『実在哲学Ⅰ』からの引用 p217-218

21世紀のAI時代の労働論とほぼ遜色のない基本的な認識を確認できる。マルクスほか労働に関する思索に大きな影響を与えたヘーゲルの大きさがこの一冊だけでもおぼろげながら確認することができる。


【付箋箇所】
56, 61, 109, 134, 148, 150, 198, 207,, 217, 252, 260, 265, 290

www.heibonsha.co.jp

ヘーゲル
1770 - 1831
廣松渉
1933 - 1994
加藤尚武
1937 -


ティル=ヘルガー・ボルヒェルト『ヒエロニムス・ボスの世界 大まじめな風景のおかしな楽園へようこそ』(原書2016, PIE International 熊澤弘訳 2019)

原題は"Bosch in Detail"と素直。ボスとその工房、そして追随者の作品19点の全体像をはじめに提示した上で、後続の各章で作品の部分拡大図を豊富に用いながら、作品を構成する特徴的な8つの主題とそこに用いられている絵画技術をじっくりと細部にわたって見せ、解き明かし、不思議な味わいを持つボスの絵画の魅力に多面的に迫る、美しい一冊。私がいくつか読んできたボス紹介の書籍のなかでは今までいちばんボリュームがあり、職人としてのボスの技量と作品世界が感覚に訴えかけてくる奥深さもいちばん伝えてくれた。全320ページ。フルカラー。

下のリンクは出版社の書籍紹介サイト。10枚の画像で中身がどんなものかを見ることができる。発色もたいへん鮮やかで良い。最近手にする美術本では、PIE Internationalから刊行されているものにあたりが多い。いい編集者がいるのだろう。美術好きはちょっと注目してもいいかもしれない。

pie.co.jp

また作品自体の魅力とは著者の学識の深さから得られる情報も貴重。例えば次のようなこと。

天使と悪魔が死者の魂をめぐって戦うという考えは、突き詰めれば、6世紀に制作された聖グレゴリウスの『対話』第4巻に記述された幻視に由来する。(p202 作品「最後の審判」の部分を解説するために書かれた文章)

解説文もよいので見るだけでなくよむことでも満足感が得られる。

ヒエロニムス・ボス
1450頃 1516
ティル=ヘルガー・ボルヒェルト
1967 -
熊澤弘
1970 -