読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【雑記】BOOKOFFにて『字統』に出会う ヘーゲルと白川静

引越後4週間、はじめての大作、作品社の長谷川宏訳のヘーゲル『美学講義』全三巻を読み終えた。満足感を持った状態で、運動不足解消も兼ねて数駅先のBOOKOFFまではじめて自転車で遠出。店舗滞在時間30分込みで1時間半コース。小型店舗だったのであまり期待もしないで行ったのだけれど、はじめての店舗には何かしら掘り出し物がある。それほど趣味の合う人間がいないことの効用は、古書店においてこそ出て来る。事情はどうあれ、特徴を持った前所有者の方々が手放した本が、商品として棚に飾られているなか、誰に購入されたいのかよくわからいような佇まいを持った本に惹きつけられる。まあ『美学講義』読了記念ということもあって、財布のひもは比較的ゆるかった。購入品は全7冊、14080円。BOOKOFF実店舗で一万円超えはなかなか珍しい。シリーズまとめ買い以外ではなかなかでない額だ。購入額の大部分を占めるのが白川静『字統』。白川静『新訂 字統』(平凡社 2004)本体税抜き18,000円が税込み10200円でドンと居た。普及版が6600円だということは調べれば分かったが、何か出会いの衝撃、手に持った際の放し難さに従って購入することとなった。

本日購入したのは七冊。

白川静『新訂 字統』(平凡社 2004)

www.heibonsha.co.jp

白川静梅原猛『呪の思想 神と人との間』(平凡社ライブラリー 2011)

www.heibonsha.co.jp

廣末保『芭蕉 俳諧の精神と方法』(平凡社ライブラリー 1993)

www.heibonsha.co.jp

熊谷守一『へたも絵のうち』(平凡社ライブラリー 2000)

www.heibonsha.co.jp

杉平シズ智訳 鈴木大拙『華厳の研究』(角川ソフィア文庫 2020)

www.kadokawa.co.jp

斉藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書 2020)

shinsho.shueisha.co.jp

藤沢令夫『プラトンの哲学』(岩波新書 1998)

www.iwanami.co.jp


収穫多めのラインナップであるのは間違いないが、最後に辞書辞典コーナーで出会った白川静『字統』の存在感は別格だった。思ってみないところで出会ってしまったらそれは運命と思うほかはない。触れてしまったら、まずは心に着火、所有欲が湧く。最近は無暗に増やさないようにしている蔵書、その順位付け、意図的廃棄作業も頭に入れながら、所有欲も満たしていかなくてはいけない。


さて、ヘーゲルを読みすすめているなかでの『字統』購入についても、ちょっとメモ。今回読み終えた『美学講義』は、通常生活空間、リビングのソファーベッド上で読むことが多かった。それと平行して引越後の住まいの風呂場で読んでいたのが岩波文庫ヘーゲル『歴史哲学講義』。『美学講義』と同じ訳者の長谷川宏の作品。厳めしいヘーゲルのイメージを打ち砕いてくれるありがたい訳業のうちのひとつ。私的所有物なので水没しても自己責任で済ますことのできる風呂場に持ち込んで読みすすめていた。

同一人物から発せられた思索の成果なので『歴史哲学講義』と『美学講義』は夾雑物が入ることなく共鳴している。ヘーゲル歴史観=世界史観としては、東洋にはじまり西洋で結実し解体するというのが揺るぎない理路で、『美学講義』も『歴史哲学講義』も時間的な展開経緯には相同性がある。そのなかで、精神の発展の端緒、目覚めの地であるとされている中国の言語記号についての記述が、白川静の業績と中国における精神の展開を逆照しているのではないかと思いつつ、ヘーゲルも良し白川静も良しという立場で、両者の著作を読みつづけるのが、まあ21世紀的ではないかと思いながら、新規購入書籍を家に迎え入れた。

漢字については、学問の進展をさまたげる点だけを指摘しておきます。ドイツ語の文字は、話ことばを二十五の音に分解するだけで、きわめて簡単におぼえられます(そして、この分解によって、可能な音の数が限定され、あいまいな中間音は排除されるから、話ことばも明確なものとなります)。わたしたちは、二十五のアルファベット記号とその組合せをおぼえればよい。が、中国人は二十五どころか数千の文字を学ばねばならない。文を書くのに必要な数は九,三五三字、それに新来の語をくわえると、一〇,五一六字といいます。そして、書物にあらわれる表意文字や熟字の数は八万字ないし九万字に達するのです。
ヘーゲル『歴史哲学講義』(上) 第一篇「中国」P223-224)

ここでヘーゲルが言っていることも、まあ妥当。だが、漢字には漢字の良さもある。今現在も漢字かな交じり文を使用している人間にとっては、ヘーゲルの世界観言語観も、漢字にのめり込む白川静の世界観言語観も、ともに生々しい、生きている世界観言語観だと思う。ヘーゲル系の学者であるフランシス・フクヤマは「歴史の終焉」ということを言って世に動揺を与えたが、国家も言語記号もまだばらばらで複数併存している世界状況では、終われない世界、完成もせず解体もしきれず、かろうじて個々に持続している世界というのが今を生きるナマの感覚だ。ヘーゲルにしてから、精神の到達点は国家と法というにとどまり、国家と国家間の交戦状態の揚棄というところまでには言及していない。現実の状況においても、国家も言語も想定可能な未来においては確実に複数残る。せめぎ合いは無くならない。2バイト文字は強制がなければいつまでも消えて無くなることはない。最近の仕事の依頼で多かったネット上の文字化けに関する対応も、まあ無くなることはない。


ジ、やしなう・あざな。もじ

会意
宀と子とに従う。宀は家廟。家廟に子の出生を報告する儀礼で、これによって養育・字養のことが定まり、またそのとき字(あざな)をつける。

(『字統』「字」部分 P393 )

 

ひとつの語に込められた意味や歴史は、単純消去することはできない。

sakuhinsha.com

www.iwanami.co.jp

 

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
1770 - 1831
長谷川宏
1940 -
白川静
1910 - 2006