読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

古田亮『高橋由一 日本洋画の父』(中公新書 2012)「鮭」の画家であり且つ「洋画道の志士」である人の評伝

明治初期に初めて日本人として本格的に油彩を受容導入した高橋由一についての人物評伝。著者のあとがきから小説風の体裁をとりたかった意向を感じ取ることができる。章立ても第何話というようになっていて、高橋由一の人物像が感覚的によく伝わる。武士の気構えを持ちつづけ、新生国家の強化のため洋画の写実性の持つメリットを広く日本に浸透させようと活動した苦闘が描かれている。一人の人物としての魅力、たとえば自身の墓石に刻ませた言葉が「喝」の一字であったというような精神性の強さや高さなどは、著者の思い入れも強いこともあって、かなりの程度伝わってくる。その反面、二十一世紀になり研究も進んでいるであろう高橋由一の日本美術史上におけるポジションや後続への影響関係、それから主題系や技術から生まれる作品群がもつ高橋由一独自の魅力といったものに対する情報はあまり伝わってこなかった。関心の中心が人物ドラマにあるようなので、個々の作品が薄れてしまうのは致し方ないのかもしれない。そのなかでも「花魁」作品制作時の、作者高橋由一の物を絵に取り込もうとする指向性と作品を見て幻滅したモデルの対称や、本文には記されることはなかったが、由一と交流のあった人物の息子である岸田劉生に、日本における西洋画家の精神性が受け継がれたのかもしれないという著者の幻想はたいへん参考になった。

 

ぱっと目には美しいとは言いづらいものの、鑑賞者を惹きつけてやまない作品がもつ美あるいは力は何なのか、どこからくるものなのか? 高橋由一でいえば「豆腐」の特に焼き豆腐の部分、岸田劉生の数点の「麗子像」や代表作「道路と土手と塀」の質感。個別に見ているぶんには取り付く島もないような画家や作品でも、関連性が見いだされれうる他の画家や作品が浮上してくることで、新たな取っ掛かりを得ることもできるのだなと感じた。それがあれば、また先に進むことができる。

 

目次:
序 章 晩年の洋画沿革展覧会 ―― 一八九三年
第1話 画家「高橋佁之介」
第2話 画学局に入局の事
第3話 ワーグマンに入門の事
第4話 上海旅行、そして維新
第5話 花魁
第6話 東海道、関西を往く
第7話 画塾創設
第8話 明治九年という転換点
第9話 洋画か日本画
第10話 こんぴら詣で
第11話 美術館の夢
第12話 東北での足跡
終 章 高橋由一の死後


高橋由一
1828 - 1894
古田亮
1964 -