読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

樋口芳麻呂・後藤重郎校注『定家八代抄』(岩波文庫 全二冊)と村山修一『人物叢書 藤原定家』(吉川弘文館 1962)

『定家八代抄』は、定家54歳の時、1215年から翌1216年にかけて選歌編纂された『二四代和歌集』の収録歌に、訳と注をつけて文庫化した手頃な王朝秀歌アンソロジー。全1809首。『百人秀歌』(1235)、『百人一首』を生むにいたる前になされた、定家の批評眼が非常によく効いた編集の仕事。雨の日にしっとりひたるのに最適。

四季はめぐり、風吹き、雨が降り、雲がながれ、月が照る。花が咲き、鳥が鳴き、人は恋をして、涙し、儚くなる。世俗の活動が持つ意味を逆に考えさせてくれる優美で無時間的で非歴史的な観念の世界。先行作品を読み学び、和歌の様式におのれの言葉を充填していく積みかさねのなかで、色づき浮かび出て来るそれぞれの個性の華やぎ。なにもないようでいて、人の根底を流れている情動はつよく感じられる、最小の言葉たち。800年以上前の王朝貴族たちの狭くはあるが濃密な言葉の行き来の跡が、現代の生活にも匂いや彩りを与えてくれるというのは、なんだか不思議なことである。

 

0390 権中納言定頼
朝ぼらけ宇治の川霧絶え絶えにあらはれわたる瀬瀬の網代

0412 寂蓮法師
野分せしをのの草臥荒れ果ててみ山に深きさ男鹿の声

1358 業平朝臣
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして

1809 和泉式部
冥きより冥き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月

 

「朝ぼらけ」の歌を読んだとき、安岡章太郎の「海辺の光景」の最後の場面、最後の文章が浮かんできた。今回の読み手側の私の精神状態は、そういった色合いのものなんだろうと思った。

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【今回の付箋歌番号】
上巻:
19, 22, 37, 39, 55, 91, 120, 163, 172, 180, 194, 203, 208, 225, 231, 251, 264, 272, 282, 284, 306, 308, 351, 359, 362, 390, 400, 403, 412, 438, 475, 486, 488, 505, 545, 557, 640, 666, 711, 726, 789, 829
下巻:
837, 848, 908, 912, 925, 945, 966, 969, 977, 1045, 1049, 1072, 1202, 1207, 1215, 1218, 1273, 1295, 1309, 1329, 1358, 1386, 1399, 1407, 1434, 1455, 1481, 1484, 15111516, 1558, 1561, 1576, 1704, 1809

 

村山修一の『人物叢書 藤原定家』は、風雅な歌の世界が作られていた定家、後鳥羽院の時代の実際の風景、平安末期から鎌倉初期にかけて貴族が没落と武士が台頭する激動の時代の、天災・人災の止むことのない野蛮で悲惨な空気感を併せ伝えてくれる、定家の人物評伝。

大正生まれの著者の密度の濃い情報の詰まった硬めの文体が、現在流通している軽めの文章に慣れた目には少しハードだったが、きちんと咀嚼しようとして注意して読んだ分、定家が生きた時代状況のイメージと定家を取巻く人物たちのイメージがしっかり残ってくれたので、結果的によかった。

天福元年七十二歳で出家したときも、無常感の徹底からではなく、むしろ剃った頭を見られるのが嫌で、人に会うのをさけたほど、現世への執着は依然として強いものがあった。従って宿命観には支配されながらも、現世には強い希望を抱き、出世と歌道の完成によって光明ある未来の世界を志向していた。
(15「宗教観と自然観」p336 )

荘園経営や冠位昇格に関する不如意、健康不安から逃れられないヒステリー気味の藤原定家が、歌の家としての藤原家の地位を確かなものにしていこうとする行為と執念には尋常ならざるものがあり、より一層興味が引き立てられた。人好きするタイプの人物ではないが、気になって調べてみたくなるところがある。日記『明月記』が残っていて、それについては堀田善衞の著作など、いろいろ読みすすめていく選択肢が多くあることも好奇心をかき立てられる。定家自身が生涯をかけて行った膨大な典籍研究と書物書写には到底及ばないにしても、その爪の垢程度の趣味的研究でもう少し定家に親しみが湧くようになればいいかなと思っている。

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【付箋箇所】
10, 26, 28, 42, 46,48, 52, 54, 57, 59, 63, 221, 274, 336, 368


目次:
1 御子左家の伝統とその周辺
2 青春時代
3 九条家出仕
4 官途への執着
5 新古今への道
6 思索と反省
7 後鳥羽院
8 権力者と追従者
9 熊野御幸
10 荘園所領
11 承久乱後の世相
12 子弟と所従たち
13 洛中洛外の住居
14 新勅撰前後
15 宗教観と自然観
16 病苦と晩年
藤原定家関係系図
略年譜


藤原定家
1162 - 1241
樋口芳麻呂
1921 - 2011
後藤重郎
1921 -
村山修一
1914 - 2010