読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ハインリヒ・フォン・クライスト『ペンテジレーア』(執筆時期 1806/7年, 仲正昌樹訳 論創社 2020) ドゥルーズの誘いにのってクライストの戯曲を読んでみる

戦闘女族アマゾンの女王ペンテジレーアとギリシアの戦士アキレスとの恋と戦闘を描く戯曲。悲劇。

ドゥルーズガタリの『千のプラトー』でクライスト推しが強烈だったので、それならばと誘いにのって、仲正昌樹訳のクライストからクライストの世界に足を踏み入れてみた。

 

【脳内上演主要登場人物配役】
ペンテジレーア(アマゾン女族の女王):菜々緒
プロトエ(ペンテジレーアに仕える指揮官):黒木華
アマゾン女属の祭司長:草笛光子
アキレス:向井理
オデュッセウス遠藤憲一

 

象まで持ち出す戦闘シーンなど考えると舞台上演で効果をあげるのはかなり厳しいのではないかと思いつつ読みすすめる。どちらかといえば映画やアニメーション向きの戯曲だと思う。映画「バットマン」シリーズを撮った監督のいずれかが映像化したら面白いだろうなと思える作品。

 

劇の展開が激しすぎたためか先行作家のゲーテに「私にはわからない」と言わしめた作品で、情念とパワーが溢れ出ている、ドゥルーズガタリはそこから「器官なき身体」や「動物への生成変化」などを語るのだが、元ネタのクライストの作品を実際に読んでみると「器官なき身体」や「動物への生成変化」が単純に好ましい事態ではないことがはっきりと確認できる。『ペンテジレーア』は悲劇であり、基本的に誰も幸せにならない。最大級の強度のもとに生みだされてくる過酷さの体験なのだ。「器官なき身体」ということばの生みの親であるアントナン・アルトーも、苦痛に満ち満ちた生の中から振り絞るようにして表現したものであり、単純な幸不幸の二分評価では収まり切らない状態であることはわかりきったことではあるものの、実際の適用事例(派生事例)としてのすぐれた文学作品に触れてみると、認識を正す必要があると思わざるをえない。「器官なき身体」や「動物への生成変化」は単純に肯定できる状態ではない。その強度において目を見張るべき状態であり、震え畏れつつ記憶するべき状態あるいは光景なのだと思う。

『ペンテジレーア』でのアキレスの死の場面、ペンテジレーアの詩の場面は悲劇的であるとともに崇高かつ非意味の強度にあふれている。

ronso.co.jp


ハインリヒ・フォン・クライスト
1777 - 1811
仲正昌樹
1963 -

 

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com