読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

堀田善衛『定家明月記私抄』(新潮社 1986 ちくま学芸文庫 1996)『定家明月記私抄 続篇』(新潮社 1988 ちくま学芸文庫 1996) 聖なる非現実の世界を写す和歌と俗なる現実の世界を写す日記

作者堀田善衛が読み解くのは、藤原定家(1162-1241)が歌の家を確立し永続させるための秘伝を伝える意図も持って書かれた漢文日記、明月記。公務と荘園経営の記録を軸に、王朝の動向と京の街の情景もしっかりと描き込まれている。時代は平安末期から鎌倉初期の動乱期。勅撰和歌集でいえば『千載和歌集』『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の美的傾向がピークを迎え衰退に向かいつつある時代。中心人物としては後鳥羽院藤原俊成、定家、為家、源実朝、藤原兼実、良経など和歌をよくする人々。そして落ちていく色好みの京の公卿たちと勃興する質実剛健を旨とする関東の武士という階層交代の時代推移のなかで翻弄される力なく名もない人々。祭祀芸能から規律統制への移行の移行期における無法と非道が噴出してしまった時代。多くの人が貧困と病苦にみまわれ、治安が悪く身の安全も保障されずに、つねに緊張した状態で不安にくれながらとりあえず生きながらえているような姿が記されている明月記を読みすすめていくと、少なくとも現在のほうが庶民にとってはだいぶ住みやすい世界になっているのだなという感慨も起こってくる。過去の生活の生々しさというものは、やはり残された文物に触れていくことでしか体感できないということも、身をもって教え諭してくれるような仕事になっている。

この賀会(引用者註:俊成九十歳賀の会)では、宴のあとに管絃の遊び、和歌所一同の詠歌などもあった。いわば日本文学史上の、高踏(パルナツス)の頂点であり、同じ時期の世界の文学を如何様に眺めわたしてみても、他に比類のない、いや例外的なまでの現実棄却の文学の祝祭であった。
では、現実はどこにしるされてあったか、それは同じ賀宴に参加していた鴨長明方丈記にあり、また定家の明月記にあった。この矛盾といえば矛盾、撞着といえば撞着の面白さはほとんど底知れずであり、人として文学と歴史的現実のかかわりについて無限のことを考えさせるものである。
(上巻「父俊成九十の賀」p199 )

明月記に出てくる人物は、定家を含めて現代的感覚からするとみんなヘンだ。一般庶民層とは異なる超上流階級の、しかも現実閑却文芸重視の閉鎖的感覚は、現実に生きる身体感覚や精神状態とは、かなり乖離している。それは意識的になされているものとはいえ、あまりにも現実的で俗なるものを蔑視している点で、非情に危ういところを歩んでいるといえると思う。

新古今和歌集』を頂点に、それ以降は徐々に精彩を欠いていってしまう和歌の世界。俗なるもの、荒ぶるもの、雑なるものを取り込んでいくには、和歌の世界はあまりにも繊細化技巧化しすぎてしまっていた。

それぞれの歌い手たちの、現代的観点からみれば奔放すぎる、あるいは軽率すぎる行動は、非常に濾過されたかたちでしか作品に反映されず、日本的美の世界の領域を拡げていくようなかたちでは進展していかなかったことが窺い知れる。

しかし、文芸的な夾雑物を極限まで排除しつつ構築された非現実的ではあるがそれでも究極的に日本的な人工的な和歌の世界にはまぎれもない美的空間が拡がっていることもまた確かだ。

私たち、後世を生きる者は、この日本的文芸の美的矛盾の世界を、距離を置きつつ吟味する位置に立つ権利と義務をもっている。ある歌をいいと思う直観的で無責任な判断を、妥当なものとして位置づけたり、問題ありとして調整したりしていくことで、日本の古典を味わい、日本文化を継承し転換していくことも可能になると思う。
※継承できたと感じられるようななにがしかが生まれてくるといいなとおもいつつ記す。


【付箋箇所】
[上巻]
14, 16, 23, 34, 48, 55, 59, 62, 68, 97, 105, 107, 108, 140, 162, 169, 199, 211, 224, 230, 243, 250 
[下巻]
62, 76, 102, 120, 133, 142, 145, 160, 169, 186, 189, 190, 194, 198, 204, 236, 262, 278, 285, 300

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目次:

[上巻]
序の記
明月蒼然、定家十九歳
俄ニ遷都ノ聞エアリ
仏法王法滅尽
初学百首
明月記欠
堀河院題百首
西行との出会
花も紅葉もなかりけり
後白河法皇
再び明月記欠
心神甚ダ歓楽
九条家の人々
夢の浮橋
連夜寒風、衰齢卅八
明年革命、已ニ以テ眼ル在ルカ
天下ノ事、不思議多シ
家鶏官班ノ冷キヲ識ラズ
道ノタメ面目幽玄ナリ
後鳥羽院・大遊戯人間
熊野御幸
河陽ノ歓娯、休日無シ
簫瑟ノ景気ヲ望ミ、独リ感ジ思フ
定家は左右なき物なり
父俊成九十の賀
橋姫の美学
父、俊成死
新古今集部類、竟宴
強盗・放火・新邸・元服その他
良経暴死
「定家・有家にがすな」
近日、時儀更ニ図リ難シ
沈淪ノ愚老、今ニ存念
不運ノ専一、耻辱ノ無双カ
末代ノ滅亡、慟哭シテ余リ有リ
明月記欠


[下巻]
続篇の序
公卿補任
歯取リノ老嫗ヲ喚ビ、歯ヲ取ラシム
遊芸人と天皇
神剣海ニ没シテ茲ニ卅廻
天下ノ悪事、間断ナシ
幕府歌会
明月記断続
拾遺愚草完成
源実朝
危機への傾斜
為家の結婚
定家、後鳥羽院の勅勘を蒙る
歌学から家学へ
承久の乱 政治と文学
歌の別れ
京都頽廃 言語道断ノ事カ
京都頽廃 年号毎日改ムト雖モ
京都頽廃 百鬼夜行
眼前ニ公卿ヲ見ル
花と群盗
正二位ハ人臣ノ極位ナリ
初月糸ヨリモ繊ク、山ヲ去ルコト纔ニ五尺
金銀錦繍ヲ着シ渡ル
痢忽チ下リ矢ヲ射ルガ如シ
前代ン御製尤モ殊勝
死骸道ニ満ツ
涼秋九月、月方ニ幽ナリ
新勅撰集撰進
平安文化終焉 群盗横行、金銀錦繍
定家出家、法名明静
明月記、終
後記 ――さらば、定家卿


藤原定家
1162 - 1241
後鳥羽院
1180 - 1239
源実朝
1192 - 1219

堀田善衛
1918 - 1998

 

 

参考:

uho360.hatenablog.com

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