読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン『美学』(原書 1750/58, 玉川大学出版部 1987, 講談社学術文庫 2016)

美学はじまりの書。西欧古典をベースに展開される感性的な領域にかかわる教養についての学問書。美学あるいは感性の学が扱うべき範囲を調査整理しながら、古典作品の具体例を伴った美的領域への導きとなる指導書という感触がある。おもにギリシア、ローマの古典作品の例を引きながら、感性的領域に生じ現われるさまざまな事象を、セクションごとに分割して例示している広範な研究となっている。

現代の非西洋地域の市井の読者が読んだところでは、西洋古典の実際的な案内書であり、西洋近代に向きあうために必要となる古典読解の奥深さを感じさせてくれる著作になっている。

 

アリストテレスウェルギリウスオウィディウスキケロ―、クインティリアヌス、ホメーロスホラーティウス、ユヴェナーリス、ルクレーティウス、ロンギーノス。

 

ギリシア、ローマの古典への参照の多さにくらべて、『聖書』への直接的言及がほとんどないのが、ある意味特徴的ではないかと読後感じた。初読では、『聖書』はほぼ対象外といってもいい扱い具合。宗教よりも哲学的、知的領域に美的感性は関わりがあるかのような言外の主張も感じられたりもするが、そこは実際のところいかがなものか。悟性で収まらない感性の不合理な部分にも接する感受判断は、どちらかといえば宗教や文化により影響を受けやすいことがらでありそうなので、叙述傾向については一定程度留保が必要なようにも感じた。まあ、ほかについては自分で参照してみなさいなという挑発でもあるのだろう。この書の中で語られていることの外は、中のことをとりあえず参照しつつ別途思考してくださいという初発者バウムガルテンの挑発とともにあるようにも思える。

古典の教養くらいなくて、何が美学ですか?

そんな無言の言明とともに美学がはじまったんだなと思いながら読後感を綴ってみた。

本書は本年7月の四連休に風呂場で読みすすめる本として設定した一冊。酷暑および日中労働解放後の夕方以降の早期過剰飲酒のため、湯船につかって本を読むという時間は2021年夏はあまりなく、肌寒さを覚えるようになった9月まで洗体主体のシャワーに傾いていたため、想定の倍以上の期間をかけての読了となった。

大部の著作は期間を決めて一気に読むか、定期的行動にあわせて持続的に読むか、大きく二つの向き合いかたに分かれると思う。いずれの場合でも、自分には合わず、間違ったかもしれない、あるいは役に立たないかもしれないという巡りあわせはある。それでも、かりに無駄に終わってもいいかと思えるのは、定期的行動に同居可能な副次的な隙間時間に、自分にとってあいまいな領域のものをとり合わせてみるようにすると、その自分の境界領域のあいまいな部分がざわついてくれることが多い。すぐにどうにかなるものではないが、何かしら顔出ししてくれそうなテクストの断片の記憶。

本書は一読体系的にどうこうできる書物ではないが、とりあえず触れておいて損はない古典に位置している。特に美学、美術、文芸批評系に関心があるものにとっては読んでおいた方がいい一冊。

本文には全くない訳註による参照文献への言及も大変貴重。後は読み手それぞれが、自分の関心に応じて、関心領域を拡げ、境界域で、あるいは深度において、美的領域を活性化していく活動をすることが求められている。求められている、というよりも、何者かから希望されている。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

目次:

第一巻
序 言
序 論
本 論
I 理論的美学(第I部)
1 発見論(第1章)
 A 認識の美一般について
 B 特殊論
  a 美的主体の性格
  b 美的豊かさ
  c 美的大きさ
  d 美的真理
第二巻
序 言
  e 美的光
  f 美的説得性

 

アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン
1714 - 1762
松尾大
1949 -

 

参考:

uho360.hatenablog.com