読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

福永光司『老子』(朝日選書 1997)

陰気、陽気、冲気。

本書は老荘思想道教研究の第一人者福永光司による訳解書。老子初読という人であれば、二昔前に出版され、ブームにもなった、加島祥造による英語訳からの重訳『タオ 老子』くらいの軽いものの方がよいかもしれないが、一見素っ気なく書かれているようでいて実はじんわりとした味わいのある本書も、研究者が書いた基本的な教科書という意味ではとても興味深い仕上がりになっている。老子全八十一章について、本文、読下し文、複数テキスト間での語句の異同、押韻解説、関連古典書との影響関係、各種注釈書の紹介、そして著者による現代語訳とたまに西欧古典作品との比較というスタイルで、隙なく老子読解が積み上げられている。単調といえば単調だが、リフレイン(リトルネロ)のように聞き入ることもできる。なにより口語自由詩訳ではないので、原文に用いられている語彙をそのまま読み、触れ、記憶することもできる。今回は、私にとっては三度目くらいの再読になるのだが、とりわけ「冲」の字が気になった。動植綵絵日本画伊藤若冲の雅号にも採られた「冲」の字は、あえて割り切らないままの本来的なものの野太さを伝えてくれているようで、とりわけ印象に残った。

第四十二章「道は一を生じ」から

[原文]
萬物負陰而抱陽。冲氣以爲和。

[読み下し文]
万物は陰を負うて陽を抱き、冲気、以て和することを為す。

[現代語訳]
万物はそれぞれに陰の気を背負い、陽の気を抱えこみ、冲和の気によって調和を保っているのである。

[解説から]
既に生成された万物の側からいえば、万物はそれぞれに冲和の気と冲和の気の成分としての陰気と陽気を己の内部に宿していることになり、冲和の気によって個物の有機的な全体としての調和が実現されるとともに、個物の道に対する調和がまたこれによって確保されるのである。ここで「万物は陰を負うて陽を抱き、冲気、以て和することを為す」というのが、この意味であり、老子において万物と道との同根性、万物の道への復帰が強調されるのも、このためである。

 

ちなみに加島祥造『タオ 老子』の対応箇所口語自由詩訳はこうなっている。

[加島祥造訳]
すべてのものは、だから、
陰を背に負い、
陽を胸に抱いているのであり、
そしてこの二つが
中心で融けあうところに
大きな調和とバランスがあるのだ。

「冲」の字がもつパワーを直接感じたいということであれば、古典的注釈書のほうが断然有用になってくる。

加えて白川静の『字統』で「冲(沖)」を見てみると

「湧き搖くなり」と水のわき出るさまをいう語とするが、むしろ水の深く静かなさまをいう語に用いる。道家の語に沖和・沖淡・沖虚・沖妙などがある。沖天のような語もあるが、むしろ動をうちに秘めた静かな状態をいう語であろう。

とある。

「動をうちに秘めた静かな状態」、融合前段階もしくは融合後段階で、まだ激烈に反応するにはいたらない精練の時である。表にあらわれずとも地層のベースが形づくられているときであると思う。

 

福永光司
1918 - 2001
加島祥造
1923 - 2015