読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

萩原朔太郎と蟾蜍

萩原朔太郎の詩を読み返したら、ヒキガエルの存在感がすごかったのでメモ。詩人本人はあまり好いていない様子がうかがえるのだけれど、ヒキガエル、朔太郎にとっては一詩神、ミューズみたいな位置づけにいる生物であるような気がした。


例:

1.
『蝶を夢む』より「蟾蜍」全篇 「日本詩人 第二卷弟一號」1922(大正11)年1月号

蟾蜍

雨景の中で
ぽうとふくらむ蟾蜍
へんに膨大なる夢の中で
お前の思想は白くけぶる。

雨景の中で
ぽうと呼吸いきをすひこむ靈魂
妙に幽明な宇宙の中で
一つの時間は消抹され
一つの空間は擴大する。

 

2.
『宿命』より「虚無の歌」部分

かつて私は、肉體のことを考へて居た。物質と細胞とで組織され、食慾し、生殖し、不斷にそれの解體を強ひるところの、無機物に對して抗爭しながら、悲壯に惱んで生き長らへ、貝のやうに呼吸してゐる悲しい物を。肉體! ああそれも私に遠く、過去の追憶にならうとしてゐる。私は老い、肉慾することの熱を無くした。墓と、石と、蟾蜍とが、地下で私を待つてるのだ。

ヒキガエル、丸くで弾力があって、朔太郎の好きなゴムまりのような感触で、愛らしくもあって、堕ちた先でひっそり待っていてくれるなら、それは慰めを与えてくれる相棒のような存在ではないかと思ったりして、ちょっと羨ましくさえ感じた。伊藤若冲水墨画の蛙よりは陰鬱かもしれないけれど、身震いして避けるような生物というよりも、むしろ詩友ではないか、そう今回は思った。

 

萩原朔太郎
1886 - 1942