聖と俗、彼岸と此岸の聖別と交流をさまざまな角度から論じた美術論集。アンディ・ウォーホルとキリスト教、シルクスクリーン作品とイコンとの関連を論じた「アンディ・ウォーホル作品における聖と俗」がとりわけ興味深かった。大衆消費社会に流通する代表的イメージを掬いとり、摸倣ではなく複製するようにして作成されたウォーホルの作品は、キリスト教のイコンの成立過程や制作過程に類似すると作者は説く。
作者の個性を感じさせず、他者にゆだねられた芸術の理想的な姿こそ、彼が幼少時代から見慣れ、日々その前に頭を垂れて冥想したキリスト教のイコンではなかったろうか。イコンには作者は重要ではない。作品の個性もオリジナリティも必要とされないが、教会に飾られ、家庭で日常的に崇敬されている。
そもそも最初のイコン、つまりキリストの聖顔であるマンディリオンやスダリウムは、神の姿を描いたものというよりは神の痕跡であり、人の手を経ずに成立したもの(アケイロポイエトス)であることが重要であった。
(「アンディ・ウォーホル作品における聖と俗」p213)
イコンは偶像、神そのものではなく、あくまで神を見る窓にすぎないとするカソリックの見解も別の個所で紹介されているので、アンディ・ウォーホルのポップアート作品がイコンであるならば、それははなはだ物質的ではありながら、現代における神を見る窓にもなっているのだろうと想定される。実際、明確には定義されてはいないもののウォーホル作品がまとう聖性に触れて本論は閉じられているのだが、変位し増殖する機械のメカニズムのようなものがそれなのかもしれないと、個人的には感じた(まあ、間違っているかもしれないけど)。
【付箋箇所】
2, 8, 14, 30, 79, 205, 214, 246, 256, 259
目次:
序 聖俗の分断――宗教改革と美術
Ⅰ バロックの聖とイメージ
聖俗の食卓――近世ミラノ美術の水脈
レオナルドの鉱脈――ミラノ派からカラヴァッジョへ
ヴァザーリとカトリック改革
王権のイリュージョン――バロック的装飾と宮殿
Ⅱ 日本の聖と俗
展示と秘匿
発酵するイコン――かくれキリシタン聖画考
殉教の愉悦――聖セバスティアヌス,レーニ,三島
Ⅲ 聖と死
召命と否認――伝サラチェーニ《聖ペテロの否認》をめぐって
アンディ・ウォーホル作品における聖と俗
供養と奉納――エクス・ヴォート,追悼絵馬,遺影
宮下規久朗
1963 -
参考: