読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

エルヴィン・パノフスキー『<象徴形式>としての遠近法』(原書 1924/25, 哲学書房 1993, ちくま学芸文庫 2009)

哲学者の木田元に、専門分野ではないにもかかわらず自ら翻訳しようとまで思わせた魅力的な研究書。美術史家パノフスキーが近代遠近法の成立過程と意味合いを凝縮された文章で解き明かす。日本語訳本文70ページ弱に対して、原注はその二倍を超えてくる分量で、著者の主張をよりよく理解するためには、ほんらい原文と原注を行きつ戻りつしながら読みすすめるべきものではあるのだが、腰を据えて研究する決心をしないままだと、なかなかそこまでのことはできない。なので、今回は(おそらく再読にあたるのだが)本文と、若干原注を覗き見する程度でお茶を濁している。ただ、それであって、も本文が主張するところの近代遠近法のシンボル形式としての制度的形式的歴史的意味合いは、十分に刺激的なものであることはわかる。

先日読んだ『イデア 美と芸術の理論のために』(原書1960)では、キリスト教的な神の位置の変遷と、美と芸術におけるイデアの位置の変遷の並行性が説かれていたことに、目を見張らされたものだが、本書もまた、宇宙観、世界観の変遷と、古代遠近法からロマネスク、ゴシックを経て近代遠近法にいたる空間処理法の変遷の並行性が説かれているところとその説き方に、美術史家パノフスキーの余人に代えがたい魅力があふれていた。

この遠近法の獲得は、同じ時期に認識理論および自然哲学のがわで達成されたものの具体的表現にほかならないのでる。無限な拡がりをもち任意に設定された視点に中心を置く空間をともなった真の中心遠近法が漸次形成されていくことによって、盛期スコラ学の過渡的立場に対応するジオットやドゥッチオの空間が克服されていった年代は、抽象的思考がアリストテレス的世界観に対するそれまで偽装されていた断絶を決定的にまた公然と遂行し、絶対的中心である地球の中心のまわりに構築され絶対的限界である最外側の天球によってとりかこまれていた宇宙(コスモス)を放棄して、単に神のうちに予造されてあるというだけではなく経験的実在のうちにも現実化されている無限の概念(いわば自然の内部での[現勢的に無限なるもの(エネルゲイア―・アペイロン)]の概念)を展開させていった年代なのである。
哲学書房版『<象徴形式>としての遠近法』p62)

質的に異なる空間においての事物の絶対的配置に代わって等質無限な空間においての事物同士の相互関連に、神的なものから世俗的経験的なものに、超越的な主観世界から数学的客観形式の世界へ、それらの展開が近代遠近法の成立過程にあわせ語られているなかで、具体例として取り上げられている作品もまた魅力的に浮かびあがってくるのもうれしいことである。特記すべきは、画家としてのヤン・ファン・エイク、画題としての床の描画処理。目を洗われるような驚きと心地よさのある美術解説書にもなっている。

www.chikumashobo.co.jp

エルヴィン・パノフスキー
1892 - 1968
木田元
1928 - 20
川戸れい子
1951 - 
上村清雄
1952 - 2017
 
参考:

uho360.hatenablog.com