不遜な作家の不遜な小説。
ロラン・バルトやフランスのヌーヴォー・ロマンに影響を受けつつ、書くことをめぐって書きつづける、日本にあっては稀有なスタイルを持つ小説を生みだしている金井美恵子。『柔らかい土をふんで、』が1997年出版なので、おおよそ30年にわたる作家活動のうちのいちばん前衛的な部分にとりあえず触れたという感触だけは得た。
映画狂でもある彼女の小説には、映画のシーンに触発されて書かれた文章が多く含まれ、私のような未鑑賞の読者にとっては、十分に読み取れず味わいきれないところもあるのだけれど、一つの物語に沿って展開するという小説に対する一般的な期待からは意図的に外れる言葉の運動と、断片的イメージとエピソード群が重層化していくよう計られた編集の作業によって、読み手の意識に問いかけ、挑発しつつ、それでも文芸作品としての文章をよむ歓びを与えてくれる、珍しい作品に仕上がっている。執筆時代によって異なる文体も、書くことをめぐって書きつづけるなかでの変遷を感じられて、感慨深い。容易にはブレない芯の強さを伝えてくれている。
各作品に通底する特徴については、現代詩文庫55『金井美恵子詩集』所収のエッセイ「作品のはじまりへ」に綴られた彼女自身の言葉によってみごとに表現され尽くされている。
書くことについて書くという魅惑的なポリフォニーは、自己循環の閉じられた世界を作るどころか、真に開かれた作品の空間を多声部の、いくつものインベンションで響かせるだろう。わたしたちに現前する作品は、そのようなインベンションにほかならない。
(「作品のはじまりへ」1968年3月号の「現代詩手帖」に初出 )
引用は、天沢退二郎の詩や石川淳の初期作品をめぐっての考察であるこのエッセイの末尾部分。20歳そこそこで、このような文章を書いてしまう金井美恵子の早熟さには驚かざるを得ない。そして、その読みそして書く意識の鮮烈さは、年を経ても色褪せることなく、むしろするどさを増しているようである。日本においては読み継がれていくのは難しいのではないかと私自身は勝手に想像していたが、図書館には比較的多くの金井作品が収蔵され、また河出文庫で10年ほどまえに出版され在庫もあるという状況なので、他の作家に比べれば、時を経ても魅力的で引き合いの多いわりと恵まれた作家なのだなと思いを新たにした。比較的読みやすい目白三部作シリーズや他方面での才能と感性を感じさせる各種エッセイが、ハードルの高そうな前衛的長篇代表作の普及にも一役買っているのであろう。
小説の内容は要約できるようなものでもないし、長篇小説の一部引用も紹介としてあまり意味をなしそうもないので、金井作品については勇気をもって実作にあたられることをお勧めします。
金井美恵子
1947 -
参考: