読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

フアン・ヘルマン詩集『価値ある痛み』(原書 2001, 寺尾隆吉訳 現代企画室 2010)

暴力、戦争、政争、闘争。

二〇世紀は異なる立場に立った人たちが、大きな争いの流れに飲み込まれて、争うことのなかで精神的にも肉体的にも目にも見えるような姿でひどく傷ついた時代。社会主義共産主義)の側も自由主義の側もファシズムの側も近代社会の渾沌のなかで、あるべき世の中をつくろうとして互いに争い、ひどく傷んだ歴史を刻んでしまった時代。

フアン・ヘルマンは、ウクライナユダヤ移民の息子としてブエノス・アイレスに生まれ、共産党とは距離を置くものの、左翼運動を継続展開してきたというスペイン語で書き、朗読する詩人。

訳者によれば詩人にとっての最高傑作のひとつとみなしてよい本書『価値ある痛み』は、虐殺された息子のことを扱う詩もありながら、政治的主張を込めるよりも、創造的に懐古決算して前を向こうという意志を背景に込めた、日常色の強い内面の基底部分を形を変えて詠いあげた作品が多く収められているように思う。

刊行は七〇歳のとき。終局に向かいながら、自分の経験したものを詩の世界に残しつつ、自分もまた日々を新たに過ごしている痕跡も伝えることで、詩に彩りを与えようとしているのではないかと思えてくる。

濁りのある諧謔、純粋なユーモア、痛みある悔恨、粘つく情念。

散文のエッセイ、行替えの自由詩、散文詩

さまざまな形態を、そのときどきに選びとり、言葉を放出できていることは、詩人の人生の想像しがたい酷薄な部分があると知ったうえで、うらやましいというか、詩の救いというものはあるのだなと確認させてくれる。

以下に引用するのは散文詩パートの最後から二番目の作品の全篇。

詩には言葉を浄化する油がある。生よりべたつき、いわれのない染みを我々に残す。そして焼く。それが作品の動力であり、過去を自らの過去へと戻す。

 

「過去を自らの過去へと戻す」のは、現在という時。粘着性を帯びつつも決定的な動きに移ることもおおいにある時。それは詩が生きる時でもある。

 

現代企画室 フアン・ヘルマン詩集『価値ある痛み』

フアン・ヘルマン
1930 - 2014
寺尾隆吉
1971 -

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com