読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

エピクテトス『人生談義』(國方栄二訳 岩波文庫 全二冊 上巻 2020, 下巻 2021)

ストア派の哲人エピクテトスは、彼が敬愛するソクラテス同様、自分ではなにも書かなかった。

ソクラテスの言行を弟子のプラトンが残したように、エピクテトスの言行は弟子のアリアノスによって残された。

歴史家として著作を持つアリアノスの書き残したエピクテトスの言行録『語録』と『要録』は、師の姿を後世に伝えることを主眼に置いたものであり、プラトンの残した対話篇のような緊密な構成は持たない。論駁の相手や教えの相手が類型的で個性を持たない人物であるために、エピクテトスの思想が一方的に語られるという印象が強い。しかし、そのような一種単調なスタイルであっても、語られている内容は興味深い。二千年近く前のローマ帝国に生きた哲人の言葉は、迷いがなく、まっすぐに語られているので、受け止めやすいし、読みやすい。岩波文庫の上下巻、本文部分だけだと750ページ程度の分量になるが、読後感はかなり軽い。

宴席に招待されたときのマナーをもって人生に対するという主張と、自分の力の及ぶものにのみよき意志を向けて自足すべしとする主張は、現代の精神面に重きを置いた場合の良質な自己啓発書の系列とも一致するので、親しみやすいというところもある。ただエピクテトスの生きた時代と異なるのは、ゼウスを主神とする神々がいて、個々人にはゼウスから遣わされた守護霊であるダイモーンがついていて、魂は不死で、死の時は肉体から魂が離れるという世界観が、共通の真理としては存在しないのが現在の世の中であるというところだ。神々なしの世界で、自分に与えられたものに満足するという強い意志を持ち続けるのは、なかなか困難だ。だからこそ、確固とした世界があった古代の人の教えを覗きながら、今の世を生きる不安定な自分自身を調整したりしているのだろう。

以下のことに集中しなければならない。すなわち、泣くとか嘆くとかいうのは何か。思いである。不運とは何か。思いである。内輪もめとか、不和とか、非難とか、糾弾とか、不敬とか、おしゃべりといったものは何か。これらはすべて思いであり、ほかのなにものでもない。意志に関わりのないことについて、善だとか悪だとか考える思いである。これらのものを意志と関わりのあるものと置き換えるようにすることだ。そうすれば、その人の周囲のものがどうあろうとも、心の安定を得ることを私は保証する。
(第3巻第3章「優れた人の対象となるものは何であり、とりわけ何を目的として訓練せねばならないのか」岩波文庫下巻 p37 )

心強い言葉である。素直な心で問い、対話を求めてくる人に対してのエピクテトスの言葉はまっすぐだ。けれども、非難したり言い訳をいったりするようなエピクテトスにとっては対抗的な人物を前にしたとき、エピクテトスの言葉はきつくなる。第2巻にそのようなきつめの語調が多く、すこし読みすすむ心が萎れてしまう場合もあるので、そこでやめてしまうよりは、違うところに飛んで読みつづけられるよう工夫することをお勧めする。章ごとの関連性は薄いので、順番に読んでいく必要はまったくないといってよい。

 

www.iwanami.co.jp

www.iwanami.co.jp


【付箋箇所】
上巻:
35, 39, 88, 90, 97, 107, 115, 138, 158, 160, 176, 203, 204, 242, 253, 274, 301, 349, 434, 441
下巻:
23, 33, 37, 62, 84, 123, 153, 210, 217, 231, 242, 254, 319, 335, 345, 350, 355, 364, 366, 373, 474, 475

 

エピクテトス
55? - 136?
國方栄二
1952 - 

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com