読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

草野心平 詩集『玄天』(装丁も著者 筑摩書房 1984)

ケルルン クック。

るるるるるるるるるるるる・・・

蛙の詩人、草野心平の七九歳から八十歳にかけての詩を収めた詩集。

朝の血達磨は太平洋の水平線から。
スルリせりあがり。
不盡山巓の雪は。
淡いバラ色。
(「不盡の衣裳」部分)

モダンかつ幻妖な詩句。旧字旧仮名のとげとげした形象と巧まず詠いあげられる強くしなやかな韻律。巻頭第一作「不盡の衣裳」を読みはじめて、びっくりした。

あら、この人、すごい詩人なのかもしれない。

すごい詩人であるとされていることは、教科書にも掲載され、多くの詩選集に選出されていることでも、あらかじめ情報としてもってはいた筈なのだが、アンソロジーではない、しかも自分が生きている時代に新詩集として刊行された同時代を生きた人としての詩を数十年遅れではあるが実際に読んで、心打たれたということに驚きをもって向き合うこととなった。

草野心平は、中原中也尾形亀之助高橋新吉とともに詩誌『歴程』を創刊し、詩選集などでは金子光晴、吉田一穂、村野四郎や萩原恭次郎山之口貘立原道造などとともに一巻にまとめて掲載されるような詩人として知っていたために、戦前の詩人という感触でしか触れてきたことがなかったように思う。生まれは一九〇三年、和暦でいえば明治三十六年。いま現在五十歳の私の祖父の年の離れたお兄さん世代にあたりそうな世代に生まれた詩人だ。同じ年に生まれた人には、金子みすゞ、レイモン・ラディゲ、ジョージ・オーウェル小林多喜二などがいるが、これらは比較的早く亡くなられた方々で、戦後も長く活動された方々としては、山本周五郎小野十三郎中野好夫テオドール・アドルノ、ヴラジーミル・ホロヴィッツイーヴリン・ウォー手塚富雄瀧口修造小磯良平などがあり、ほかには小津安二郎林芙美子が同年生まれとなっている。草野心平の戦後の活動は、世間的にはあまり伝わってはいないものの、朽ちずにどこかしらでつながっていることは、大したことだと思わずにはいられない。

一九七三年、数え七十歳にして、その時点での集成として『草野心平詩全景』を敢行して後、毎年、その年ごとになった詩を集めて詩集して刊行するようになって十年目の記念すべき著作が本書『玄天』である。こののちもとどまることなく持続する驚異的な詩作活動には心底圧倒される。己の身体を介して、あやしく蠢く生の様相をじっくりみつめながら、事物に愛しく寄り添い詠いあげる、愛惜の歌。その優しさに読み手は感応し、痛み、もち直し、バランスをとる。足元の危うさを訴え続ける声とともに、詠いあげ、酔いながら、謳歌する詩人の姿に、自分を重ねるようになる。。

その太陽が西に没する前の千變萬化。

  金色の雲の橫の直線。
  氣狂ひ赤の。
  もくもくもくもく。        
(「不盡の衣裳」部分)

先の引用句につづく、呆然とさせる日本語のうちなる感傷。情感には収まりきらない物質感をともなった感官の受容と、感官の横溢にひたりきり充足する感官。なにものかを感受せざるをえない生のなかで、最大限自己を鼓舞する事象に向き合う気概、気骨。

草野心平の詩を読むにあたっては、自分がいま無垢であるのか、いまある立場で何を感じ何を言いたいのか、どこに向かいたいのか、慌てずにおけるところはどこか、進むことを強いられずに佇み、想いを育み、解き放つことが今できだろうか、などなど、さまざまな問いかけや反省が促される。それは覚悟しておかなければいけない。直接には語りかけてくることはなくとも、向日性あるいは向陽性に貫かれた詩魂が、私はこうですが貴方はどうですか、と詩作品を通して問いかけてくるのだ。

異變

南海の鯨。
龍に化け。

はるかなる。
靑磁の。

不盡を狙ふ。

(「異變」全篇)

 

八〇歳を過ぎてなお創作欲旺盛な姿勢、富士にこだわり、楽しみながらも厳しい美の稜線をたどり、芸術の道をつくり繋いでいこうとする姿勢は、どことなく葛飾北斎を彷彿させる。画狂老人卍、葛飾北斎と、蛙と不盡に魅せられた日本語音韻の美食家、草野心平。画家としての一面ももつ草野心平は、音楽とともに目を見張るイメージを言語で提供してくれもする、万能といってもそれほど間違いではない詩人でありそうだ。


草野新平
1903 - 1988

 

参考:

uho360.hatenablog.com