読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

本間邦雄『時間とヴァーチャリティー ポール・ヴィリリオと現代のテクノロジー・身体・環境』(書肆心水 2019)

資本主義経済が光速の電磁波活動圏を手にしてから後の世界で、生身の人間がどう対応したらよいのか。まずは現状を確認するためにも、速度の思想家ポール・ヴィリリオに尋ねてみるのが適当だ。本書はヴィリリオ『電脳世界』の訳者でもある著者のヴィリリオ論集成といえる一冊。

人間の感覚も精神活動もヴァーチャルな次元に支配されつつあり、そこにおける思考・行動原理が優先される以上、身体活動にも深刻な影響が生じ、地理的世界も縮減し、縮こまる身体、縮減する世界の様相を呈することになる。そこには当然のことながら資本主義の原理もはたらいている。資本主義の原理は、数値効率主義と連動しているので、デジタル化された大量のデータで構成されるヴァーチャル世界によく馴染む。加速を強いられる身体(肥満解消など、身体改造の脅迫的加速もある)、縮退する世界、機械による身体への資本投下と搾取、収奪される新たな植民地=身体。
(第4章 情報エネルギー炸裂社会とヴァーチャル世界の浸潤 2「内面という虚妄 ―― 内部の外部化」p136-137 )

消費者としてマーケティングの対象となっている個々人は、大量の更新され続ける情報の海に漂っている。情報の流れとともに思考も流されているので、どれだけの速さで流されているのか、岸辺のみえない海でははっきりと自覚することはできない。情報の流れから身を引いても、それが正しいという保証もない。態度を誤っても自己責任、自業自得と突き放される可能性が高い。生の時間やリズムの「多様性」の回復、「多様性」を生む分岐抵抗活動、単一方向性に抗う「脱オリエンテーション」の試行をヴィリリオの思索を通して著者は勧めてくれているが、一冊の本を読むことでどこまで有効な展開に結びつくかは不明だ。

本間邦雄ヴィリリオの「脱オリエンテーション」の実践という意味を込めてかどうかは分からないのだが、最終章でヴィリリオから道元の『正法眼蔵』に筆をのばしていく。「視覚の貯蔵庫」を意味する『正法眼蔵』から認識と実践の多様性に結びつく法語を引きながらヴィリリオの思想と混交させようとしているのだが、あまりうまくいっていない。鎌倉時代道元のテクストがかなりの分量でつぎつぎに導入されることで、文体も文章が見せる景色もいままでの展開してきたものから唐突に変わってしまっているような印象なのだ。時間と存在の多様性という点で、ヴィリリオから道元へという線が示されたことは参考にはなったが、おそらくそれが有効性をもって語られるには醸成の時間と論述の分量が相当に必要なのだと思う。

 

www.shoshi-shinsui.com

【付箋箇所】
40, 66, 71, 90, 135, 136, 154, 168, 177, 206, 235, 253, 254, 258

目次:
はじめに
序 章 今日のエレメント――機械論の三段階から、ヴィリリオの「走行圏」、速度の世界へ
第1章 原型としてのトーチカ(掩蔽壕)――ヴィリリオの出発点
第2章 走行圏世界――速度機械
第3章 ヴァーチャル世界の優位と世界の老化――視覚機械による遠隔現前
第4章 情報エネルギー炸裂社会とヴァーチャル世界の浸潤
第5章 時間の支配と差異化
第6章 事故の博物館、偶有性としての時間
第7章 都市、身体の行方と「恐怖」の管理
第8章 分岐と時間多様性
終 章 脱オリエンテーションの思考――ヴィリリオから道元
あとがき


本間邦雄
1951 - 
ポール・ヴィリリオ
1932 - 2018

参考:

uho360.hatenablog.com