読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

未来社 シリーズ 転換期を読む28『蒲原有明詩抄』(未来社 2021)

日本近代詩黎明期に活躍した象徴派の詩人、蒲原有明青空文庫でも読めるような明治期の詩人の詩選集が、立派なつくりの紙の新刊本で出ているのを見ると、何ごとかと思う。刊行者がどんな意図をもって仕掛けてきたのかを探ってみたくもなる。このシリーズではブランショの『望みのときに』や『エマソン詩集』などは購入しているし、ベネデット・クローチェ『ヴィーコの哲学』やアレクサンドル・ボグダーノフ『信仰と科学』やアイヴァー・A・リチャーズ『レトリックの哲学』など機会があれば手に取ってみたい訳書としてある、気になるシリーズなのだ。しかも、岩波文庫の自選『有明詩抄』(1928)の在庫があるうえに、作品選択が自選詩集を踏襲しての新刊刊行である。すこし期待してしまうような状況下での刊行物なのである。

特徴としては、詩人自身の改訂によって初期の詩の良さが失われてる傾向があることから、すべて初出の詩作品で統一したことがあげられる。

 

埃(ほこり)がたつ、――夜(よ)なかすぎの貧血の街(まち)なかを、
腥(なまぐさ)い埃の幻が月の光に黄ばんでは滅(き)える、
人通(ひととほ)りは絶えたが肉の香(か)の饐(す)えた街なかを。

そして、そこには瓦斯(がす)が無益(むやく)に燃えてゐる、
絶えず軽い地震が揺(ゆ)つてゐるやうに顫(ふる)へて、
無益(むやく)であるから何(なに)とはなく凄(すさま)じく。

然(そ)うだ、不測の災厄(さいやく)が、破滅が、何時?今?
寝静(ねしづ)まつたのではなく呼息(いき)を殺した
夜(よる)の街を襲(おそ)はうとしてためらつてゐる。


(「破滅」部分)

 

実際には旧字なので、今の感覚で読むとものものしい感じも受けはするのだが、ゆっくりと読み直してみると、いま現在流通している詩のことばとそれほど懸隔があるわけではない。詩にうたわれた情景の、幻想性をともなった喚起力には驚かされる。解説を書いている詩人の郷原宏によれば「有明は出発当初から詩を何よりもことばの問題としてとらえるように宿命づけられていた」ということで、「何を書くべきか」ではなく「いかに書くべきか」という詩人の取った方向性から、時代を超えて詩をなすことばのたたずまいがつよく訴えかけてくる。読みやすく手に取りやすい体裁をとって新たに刊行されたことで、現在のことばの状況にも直接つながる前世紀初頭の詩のことばが、100年の日本近代詩の歩みに対して問いを発しているような感じになっている。「いかに書くべきか」ということに関して100年で何がどのように展開されたであろうか?

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目次:
有明集(1908)より
春鳥集(1905)より
獨絃哀歌(1903)より
わかば(1902)より
有明集(1908)以後

蒲原有明
1875 - 1952


参考:

uho360.hatenablog.com