読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

高橋敏『白隠 江戸の変革者』(岩波現代全書 2014) 動中の工夫は静中に勝る事百千億倍

禅画と墨蹟の芸術家白隠でもなく、臨済宗の聖僧たる思索家白隠でもなく、寺院経営と著作出版に機敏に立ち回り独自のこだわりも見せる、世俗に深くかかわりをもった人間くさい側面を中心に紹介がなされた白隠の評伝。禅宗史の芳澤勝弘の業績と美術史の山下裕二によって近年再評価の兆しの強い白隠に、歴史学からのアプローチを付け加え、さらに白隠の肖像を重層化し、よりよく検討しようとする試みの書である。

各藩の財政逼迫が顕著になってきた十八世紀初頭の政治経済状況下にあらわれた藩政改革請負人としての酷吏。歳入増大のため、年貢増徴や殖産興業の策を強引に推し進め、そのなかで自身の利殖に励む酷吏は、上層に取り入り懐柔し下層の領民から富を搾り取ることに長けてはいたが、領民の不満は募り一揆が発生するような世情となっていた。後に禁書となる白隠の『辺鄙以知吾』は、「酷吏」糾弾の書として書かれたもので、当時の政道批判は死に結びつくような危険をともなったものであったが、白隠は告発するとともに表現上の戦略で法に触れないような隘路をうまくたどる。その活動の手法は、世間知にも長けたもので、没落した寺の再興や身内が経済的苦境に立った時の立ち回り方にも共通した根をもっている。うまく事を運ぶために摩擦を極力排して円滑かつ高速に活動するのが白隠の特質のようだ。

晩年になればなるほど白隠の舌鋒は冴え渡り、著作となって流布した。異能な禅僧であったのは、言語による提唱、講義、士衆とのやり取り等を文字化し、多くを木版刷りにして頒布し、中には京都の書肆から出版・販売して世に問うては物議を醸すまでに発展したところにある。(中略)数万点ともいわれ、今日なお発見され、美術作品として珍重される、白隠の代名詞となった異色の禅画は、現実社会と接触する中で鵠林教団組織化のため制作されたものである。
(第三章 白隠の大転換 「1 内なる宗門への鉄槌」p61-62 )

寺を持たず書画を乞われてもなかなか応じようとはしなかった良寛との違いに思いがおよぶ。白隠の独特の経営者的感覚が良寛とはまた異なった人間臭さを放っていて興味深い。当時文化的中心だった京都のいちばんの版元から自著を発行しようとしてこだわったことや、後継者選びで自分の思いを押しとおそうと懐柔策まで使っているところなど、本書ではじめて知ることのできた白隠禅師の側面がたくさんあった。

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【付箋箇所】
2, 52, 61, 63, 107, 151, 162

目次:
はじめに
第一章 禅僧白隠慧鶴の誕生
第二章 窮乏庵飢凍白隠
第三章 白隠の大転換
第四章 宝暦・明和期の白隠
第五章 鵠林教団の形成
第六章 鵠林教団の継承
おわりに

高橋敏
1940 - 
白隠慧鶴
1649 - 1769
大愚良寛
1758 - 1831

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com