読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

草野心平 詩集『幻象』(筑摩書房 1982)

草野心平、七十八歳が詠いあげた詩境。

心の動きの必要条件たる身体の状態は惨憺たるものながら、身体条件に屈するわけにはいかない歴史的背景をも持った詩人の精神性が、あるかなきか、たえず惑わせつつある詩的空間に向けて渾身の言葉を放つ。

本書を構成する詩篇の作成期間中一年の短期間のうちに複数の入院治療期間があり、肉体的にも精神的にもかなりキツイ期間の詩作ということが伝わってもくる詩集ではあるのだが、そのような人生暮れ方の色の濃い時にあっても、反骨精神を貫き、折れも屈しもしない意地というものがつよく伝わってきて、若輩ものにとっては壮観であるとともに居住まいを正す必要がありそうな姿勢を見せつけられる詩篇が並んでいる。

一九八〇年二月(七十七歳)
失明右眼帯が頭の裏側まで重たく痛く。
防衛大学への緊急グルマ。
緑内障
(死んだと思つてた右眼玉も神経だけは生きてゐたのだ。)
入院を勧められたが断る。
その仕返しみたいに。
五日後の尿道結石。
鮮かな血の流れ。
ヅ太い激痛。

そしていま一九八一年六月二十六日の夜なか
一時間おきの眼玉へのタオル湿布。
(冷や酒二合カッキリで止す。)

(「眼玉の歴史」部分 実際は旧字旧かな)

医療の力も借りながら、自身の信念に沿った選択を自己責任でとっている姿が見てとれる。時代と自身の身体的条件と精神の尊厳とのせめぎ合いを虚飾なく晒している無駄のない言葉が尊い生老病死についての立場による善悪賢愚の判断を超えて、一人の人間の生き様ここにありと示されている。世に自身を知らしめた詩集『第百階級』に深く根付く生き方、生き様。


草野心平
1903 - 1988

 

参考:

uho360.hatenablog.com