読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

岩波文庫『伊東静雄詩集』から「八月の石にすがりて」

ここ数年、年に数回『伊東静雄詩集』を読んでいる。心がざわついているときに読むと、どういうものかそのざわつきから距離を置くことができるようになるので、なんとなく手に取る回数が多くなっている。今年は引越しの前後にわりとよく読み、そして先ほど、ちょっと早めの正月帰省の帰りの電車とバスのなかで読んだ。一泊だけの顔見世程度の帰省だったが、80歳の父親の入浴介助と髭剃り爪切りをしたので、少しは喜んでもらえたかもしれない。80歳の身体に触れて、老いて生きるのも大変なものだとより強く感じた50歳の年の年末。帰りの電車の乗り継ぎの駅のふきっさらしのホームでの20分間は、飛ばされそうになるくらいに風が強くて、さすがに文庫本を手にして読みつづけることはできなかったので、線路のあいだのスペースの枯れ草かひどく揺れているのをずっとみていたが、枯れて凍てついたような風景は、伊東静雄の作品世界にどことなく似つかわしいように思えた。

八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命(さだめ)を知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光のなかに生きむ。

運命(さだめ)? さなり、
あゝわれら自(みづか)ら孤寂(こせき)なる発光体なり!
白き外部世界なり。

見よや、太陽はかしこに
わづかにおのれがためにこそ
深く、美しき木蔭をつくれ。
われも亦、

雪原(せつげん)に倒れふし、飢ゑにかげりて
青みし狼の目を、
しばし夢みむ。


(「八月の石にすがりて」全)

 

夏の情景を詠うことが多い伊東静雄だが、夏の情景のなかに雪や氷の凍てつく白光を貫かせて、世界を変容させてしまう詩の力はとてつもない。第二詩集『夏花』にその傾向が多いと感得できたことが今回の通読の成果で、そのなかでも「八月の石にすがりて」が今回はいちばん響いた。「雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて/青みし狼の目」に、緑内障のはてに独眼となってしまった父をすこしだけ重ねているせいかもしれない。

 

www.iwanami.co.jp

 

伊東静雄
1906 - 1953

参考:

uho360.hatenablog.com