読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

山下裕二+橋本麻里『驚くべき日本美術』(集英社インターナショナル 知のトレッキング叢書 2015)暴論のような正論を聞ける日本美術に関する師弟対話

山下裕二と橋本麻里、両人ともに関心のある名前ではあったので、本の背表紙に名前が並んでいるのが目に入り、手に取ってみたところアタリだった。作家としては版画家の風間サチコという名前を知れたことがいちばんの収穫かもしれない。木版画を彫って一枚しか刷らないとか、攻めすぎてて、すごすぎる。

本書は、奇想を愛でる辻惟雄の弟子筋第一期生の山下裕二に対して、日本ポストモダンの雄たる小説家高橋源一郎の第一子で美術ライターの橋本麻里が、モグリで講義を聞きに通ったこともある山下裕二にインタビューするという形式の、発言内容的には破天荒な、日本美術の非教科書的な講義本。日本美術作品を語るに際して縄文的なものと弥生的なものとの二極のどちら寄りにあるかにとりあえずは分類されることにならえば、縄文よりで、ゴテゴテっとしてトゲトゲな刺激的な仕上がりとなっている。

橋本麻里に関しては高橋源一郎との対談以外でははじめてその言葉に接するので、どんな仕事をするのかと楽しみにしていたのだが、聞き手という役割上黒子に徹しているので個性はあまり感じとれなかった。やはり単著に触れるべきなのだろう。

本書で日本美術の講師として語る山下裕二は、先生というよりも仕掛家とか興行師とかに近い、腹をくくった如何わしさと妖しさをもったヤンチャな人なんだなと思った。昭和から平成にかけての比較的近年の日本美術作家で山下裕二が推しているのが、岡本太郎つげ義春!、赤瀬川原平会田誠というところからも、正統のなかにあっても異端というか突端好きというのがわかる。おそらく抒情を突き抜けてしまった生理的などうしようもなさを肯定的に露出してしまっている人が好みなのだろうと勝手に解釈している。

「実物見なきゃわからない」というのが山下裕二のまずいちばんの主張だけれども、本書は図版もきれいで、それにもかかわらず印刷ではどうしても再現できない絹本着色の味わいを語るところが、印刷本を鑑賞している人間には訴えかけるところ大だ。混んでいなければいくらでも行くのだけれど、作品に到達するまでに二時間も並んで、入ってからも作品よりも作品を見る人を見るほうが多いという昨今の状況だと、どうしても気分が萎えて自分の家から出ないようになってしまっている。でも、本書で勧めているのは企画展よりも常設展での日常に近い鑑賞というところもあって、最寄りの比較的込んでいない美術館の常設展でも見てみようかという気にもさせてくれる。

日本の美術や文化は常に外来のものを取り入れてはいる。けれどそれを成熟しないと、本当にいいものは生まれません。だから僕はよく、鎖国しろって言うんです。日本がこれまで鎖国を行なったのは、平安時代と江戸時代ですよね。その時代にもっともクオリティの高い美術が生まれている。
(二部 日本美術との出会い方 「室町水墨画と中国水墨画筒美京平アメリカンポップスの関係と同じ」p114 )

暴論だが一理ある。外来のものが縄文的なものでも弥生的なものでも日本的に様式化したものがおそらく「いいもの」なのだろう。いまは国単位で鎖国とかは言えないような時代なのだから、スケールは小さくても個人レベルからグルーバル化の傾向に抵抗することが「いいもの」につながっていくかもしれない。外的素材をぶち込まれた後で、小さな世界に引きこもって己自身の必然性に向き合ってみることも、もしかしたら自慢できる果実を生むための必要な作業であるのかもしれない。

www.shueisha-int.co.jp

【付箋箇所】
22, 30, 33, 61, 66, 68, 76, 80, 114, 119, 155

 

目次:
第一部 日本美術を「見る」ということ
第二部 日本美術との出会い方

 

山下裕二
1958 -
橋本麻里
1972 -

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com