読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

江川隆男『アンチ・モラリア <器官なき身体>の哲学』(河出書房新社 2014)

アンチ・モラリアは21世紀のエチカを目指して書かれた江川隆男の主著。反道徳としての倫理を世界に打ち込む。「神の死」、「人間の死」につづく「世界の死」を実現するために。スピノザニーチェドゥルーズ=ガタリの著作を深く読み込みながら思考している濃厚な一冊。無骨で濃縮度の高い文体で、初見で読み通すのはかなり骨が折れるし、全体の三分のニくらいまではなかなか自分の読みかたであっているかどうかも心もとない。とりあえず結論をよんでから第一章を読みはじめてみても、第七章に到達するまでは息詰まるような展開だった。少なくともスピノザの『エチカ』、ニーチェの『ツァラトゥストラ』、ドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』は読んでいてある程度想起できるような状態でないと、著者の言葉が読み取れないので、ちゃんと注を読んだり、また『アンチ・モラリア』の前後に書かれた論文を集めた『すべてはつねに別のものである <身体―戦争機械>論』を覗いたりしながら読みすすめた。

われわれの思考は、どこに向かっているのか。それは、スピノザにおける<哲学‐エチカ>の思考を超越的に行使し、身体を脱領土化することである。それは、スピノザの哲学全体を「定理(テオレーム)」で凝り固めることではなく、そのすべてを「問題(プロブレーム)」として再構成し逃走させることである。
スピノザの哲学をこうした意味での<問題>の方へと極限まで推し進めることによって明らかになるのが、ドゥルーズ=ガタリの哲学である。絶対に無限な実体は、ドゥルーズ=ガタリにおいては、存立平面あるいは内在平面という概念あるいはその思考のイマージュとして規定される。このイマージュは、表象化以前の<表象なきイマージュ>である。
(第三章「<実体=属性>の位相――スピノザ的思考の超越的行使」p113 太字は実際は傍点)

『アンチ・モラリア』はこんな風に語られている。前提とされる先行哲学者の概念は相当程度自力で理解するよう求められている。著者による注もかなり豊富にあるのだがそれだけだと足りない。ボリュームもありそして濃厚となると    消化できていない可能性が高い。本書のような本は二度目以降に何度も小分けにつまみ食いするくらいのほうが栄養摂取できるかも知れないと感じている。再摂取しても味は落ちない。むしろよりよく味わえるようになってくるような本だ。

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309246628/

【付箋箇所】
30, 36, 39, 44, 45, 48, 67, 73, 78, 90, 103, 112, 124, 130, 135, 148, 174, 179, 181, 185, 207, 246, 253, 262, 290, 298, 312, 329, 331, 332, 335, 342, 355

目次:
第1平面 唯一の器官なき身体
 Ⅰ <分裂的‐逆行的>総合
  第一章 器官なき身体の哲学
  第二章 出来事の諸総合――<離接的‐分裂的>総合の実現
 Ⅱ 実在的区別の組成
  第三章 <実体=属性>の位相――スピノザ的思考の超越的行使
  第四章 存在を分裂症化すること――欲望の第二の課題
 Ⅲ 脱地層化の原理―新たな<エチカ>の思考へ
  第五章 器官なき身体=脱地層化する<自然>
  第六章 器官なき身体の地層化
  第七章 大気層――器官なき身体の気息
第2平面 <情動‐強度>論―多数多様な器官なき身体
 Ⅳ 変様―脱領土性並行論
  第八章 身体の変様について
  第九章 脱記号過程――身体の非記号的変様について
 Ⅴ 情動―<強度=0>における強度
  第十章 プラグマティック‐実践哲学
  結論 器官なき身体の諸相

江川隆男
1958 -

参考:

uho360.hatenablog.com

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