読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

森村泰昌『美術の解剖学講義』(平凡社 1996, ちくま学芸文庫 2001)美をつくり出す堕天使、森村泰昌

美術家森村泰昌の初の著作にしておもしろさを徹底した大傑作。

実作者が見て語る美術は、素人愛好者が観て満足している美術とはひと味もふた味もちがったところがあり、わらってしまいながらも、目も心も洗われている。本気がすぎてふざけているようにも見えてしまうところは、本文も章扉や本文に図版挿入されている自身の作品もおなじで、きわめて特異、かつ鮮烈。思いもしなとところを突いてくる作品は、触れる者の感性を揺さぶらずにはおかない。
まがいものの肯定推奨、あるいは模倣再生による新時代到来への積極的加担を語っているところなど、記憶に残る言葉が多く、新鮮な驚きにも満ちている。エドゥアール・マネの『フォリー・ベルジェールの酒場』を分析しつつ、自身が制作した「まがいもの」のオマージュ作品「美術史の娘/劇場A」の解説を行っているところなど、唖然とするほどの明晰さと衝撃がある。誰もが語る鏡像に触れた後、絵の主人公の酒場女の異常に長い腕の長さを指摘しているのだ。セザンヌの「赤いチョッキの少年」のように誰もが気づくような極端な腕の長さではないが、実際にはあり得ないがかえってバランスよく収まっている必要以上に長い腕。美術評論家からはなかなか聞けないようなことをサラッと提示した後に、それを主題として自身の作品に取り入れて増幅させたうえで美的にまとめあげているところが、さすが芸術家と思わせる。

装丁やデザインそして文体からは想像つかないほどの硬派な論考、本質を突いた論考になっている。

「美とはなにか」。それは、「未来に向かって振り返ることであり、美はいつも『まがいもの』としてのみ現れる」。そして「美をつくり出すのは、いつも堕天使であった」。
(六時間目「女優論」p230 )

森村泰昌、これほど言行一致の人もめずらしいのではないだろうか。本書では美をつくり出す堕天使、森村泰昌に出会うことができる。

www.chikumashobo.co.jp

目次:
一時間目 人生論
二時間目 写真論
三時間目 大発見論
四時間目 真贋論
五時間目 セルフポートレイト論
六時間目 女優論


森村泰昌
1951 - 

参考:

uho360.hatenablog.com

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