読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

近藤和敬『構造と生成Ⅰ カヴァイエス研究』(月曜社 古典転生4 2011年) 「数学は生成する」

2009年に受理された著者の博士論文『カヴァイエスにおける「操作」と「概念」――数学的経験における構造の弁証論的生成について』をベースに、カヴァイエス『構造と生成Ⅱ 論理学と学知の理論について』での解説と重複する部分を削除の上、加筆改訂した論考。博士論文の指導教官はドゥルーズが専門の檜垣立哉

近藤和敬は、スピノザ-カヴァイエスドゥルーズのラインで「内在の哲学」を精力的に展開している気鋭の現代日本哲学者。外部も超越者も想定せず、概念による思考が自らの限界あるいは裂け目を埋めるべく必然的に歴史的に展開していく様相を、精緻な論理で描き、精練させている。本書は著者の思考活動の端緒となる記念的な作品。はじめての著作とあって、文体もまだ練られておらず、横書きの読みづらさも手伝って、とくに序論と第一章はかなり読むのに苦労するが、「数学は生成する」というカヴァイエスの主張の意味合いと論旨に慣れてくるにしたがって、どんどん興味深い世界像が浮かび上がってくるので、まずは読み通してみることをお勧めする。

「問題」とは、この「証明せよ」という数学諸理論の内部から発せられる要求にほかならない。つまりこの想像を人為的な恣意性から区別することを可能にするのが、厳密な「証明」を構成せよという「問題」の要求とそれに対して応答しようとする努力である。そして、「理念化」とは、この「証明」を構成せよという「問題」の要求に応えるための1つの方法なのである。
(第4章 操作と概念の弁証論的生成 第3節 「理念化」の「必然性」についてのカヴァイエスによる解釈 p128)

「解けない問い」という知性の不完全性が、知性が進展することを、内的にそして必然的に要求する。必然性のなかに思い切り飛び込んでみるか否かでその人の生きる世界は変わる。変わるのだけれど、そう容易には飛び込むこともできない歴史的な流れなので、飛び込んで今まさに必死に泳いでいる近藤和敬の姿を、岸から追っていくことをいまはつづけて行きたい。

ちなみに、近藤和敬やカヴァイエスについて本書から読みはじめることはお勧めしない。まずはカヴァイエスの伝記的紹介や凝縮された解説のあるジャン・カヴァイエスの実際の論考『構造と生成Ⅱ 論理学と学知の理論について』(月曜社 2013年 既読)からにするか、あるいは近藤和敬の単著『〈内在の哲学〉へ  カヴァイエスドゥルーズスピノザ』(青土社 2019年 既読)のほうがよい。いちばん手に入りやすいのは『ドゥルーズガタリの『哲学とは何か』を精読する 〈内在〉の哲学試論』(講談社選書メチエ 2020年)で、こちらはいま読みはじめたばかりでどうなることかまだ分からないが、書くごとにどんどんこなれてきているので期待してもいいかとは思う。ただ600ページあるので読みはじめる前に目次くらいは確認しておいたほうがよいかもしれない。

構造と生成 I カヴァイエス研究|月曜社

【付箋箇所】
22, 35, 49, 69, 80, 85, 88, 128, 143, 144, 146, 152, 160, 164, 177, 180, 195, 197, 203, 261, 262
目次:
序論  「操作」というテーマについて
第1章 カヴァイエス哲学史解釈と操作概念
第2章 ブラウアーの直観主義と操作概念
第3章 ヒルベルトの公理的方法と概念の哲学
第4章 操作と概念の弁証論的生成
第5章 真理の経験と現象する知性としての数学
第6章 概念の哲学とモノの認識論
結論  「概念の哲学」の未来に向けて

ジャン・カヴァイエス
1903-1944
近藤和敬
1979 -

参考:

uho360.hatenablog.com