読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

梅原猛+柳田聖山『仏教の思想 7 無の探求<中国禅>』(初版 角川書店 1969年, 角川ソフィア文庫 1977年) インド仏教の世界から離れたところの中国禅の世界の概観と日本での受容の歴史

出家の僧侶の高慢を突いた『維摩経』の在家信者維摩居士の正しさを、出家したところの禅僧が日常に還る体で反復改革していこうとするのが、中国禅さらには日本の禅の営みの真にあるものだと確認することを主眼に置いた一冊。

解脱による世間超越を良しとするインド的仏教思想ではなく、中国を起点とした東アジアの仏教、それも独自色を強めていった南方仏教の現実界における浄土実現・浄土到達を本意とする成道を目指す仏教の歴史的経緯とその地域的且つ歴史的な必然性を、冷静な文献読解から導き出している柳田聖山の論考「禅思想の成立」の存在感が凄い。
解説の中沢新一も、柳田聖山の論考を受けてなされた梅原猛との対談、梅原猛の論考も、柳田聖山によるインド仏教とは思想的に異なる方向に歩みをすすめた中国仏教という説得力のある論点に従ってすすめられているところが本書の特徴で、圧倒的されるところでもある。インドと中国との違い。超越界と世俗日常界のあいだにおけるリアリティの重心のかけ方、思想的方向性の違いというものが何度も繰り返し説かれていて、地域による思想性の違いというものに強く意識させられることとなった。

また、禅の受容における日本的傾向を、文献需要の歴史的推移をあとづけることによって、きっちりと示しているところに大変な価値がある。いま現在、良しとされよく読むように推奨されている文書が、特殊日本的な嗜好によって重宝されているだけかもしれないという批評的視点をもたらしてくれているだけでも、たいへんな価値があると思われる。

たとえば『無門関』が価値あるものとして重宝されているのは、日本のしかも江戸期以降の現象にすぎないという指摘は、『無門関』とその周辺や、『無門関』成立にいたるまでの歴史的経緯に関わる文書にも改めて目を向けさせ、研究に向かわせる正当な力を持っている。

インド、中国、日本の風土にも関わるであろう宗教的思想の土着的な改変と受容の歴史が、思想的な地盤の理解究明に、無視できない資料を提供しているということが、本書一冊だけで充分に明らかにされている。

印象に残る見事な論述。

www.kadokawa.co.jp


目次:

第1部 禅思想の成立
  ブッダの瞑想
  道を楽しむ歌
  奇跡の魅力
  宴坐
  般若ハラミタ
  一行三昧
  本知の立場
  体より用へ
  あたりまえの生き方が真理である(平常心是道)
  人間とは何か
  無字の発見

第2部 中国禅の特色  対談 柳田聖山+梅原猛

第3部 絶対自由の哲学
  厭世観の克服―『大乗起信論』 
  価値の世界を越えて―『六祖壇経』 
  深淵上の自由自在―『臨済録』 
  ユーモアと論理―『碧巌録』と『無門関』
 
解説 中沢新一


柳田聖山
1922 -     2006
梅原猛
1925 - 2019
中沢新一
1950 -