読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

プラトン『ティマイオス』(岩波書店 プラトン全集12 1975)

プラトンの後期対話篇に於けるソクラテスは、語り手でも対話者でもなく、もっぱら聴き手の位置にいる、日本の能の構成上でいえばワキの位置に控えながら、全体を無意識的に統括する主宰者の位置にある。主宰者は迎えいれた主賓を称え、主賓の最高の精神活動を受け止めるべく静かに聞き入る態勢をとる。

本書『ティマイオス』も当時の傑出した宇宙論を聞くための場を即興的に演出したという体でまとめあげられた一品。

ソクラテスの思想ではなく、プラトン自身が伝えたいと考えていた思想に寄せて作り上げたところの、劇詩的作品。

プラトンティマイオス』においては、なにをおいても、場(コーラ)の叙述部分を抑えておくのが肝要。意外と目立たないので読むときには注意が必要。できれば注釈も読んでおいた方がよい。

プラトンティマイオス』といえば「宇宙霊」と「コーラ」。
現代哲学的には「コーラ」のほうが需要は高いだろう。

場、コーラ、χώρα。

種山恭子訳の日本語訳書では、場とχώραしか出てこないので、「コーラ」を意識していて読んでいてももしかすると読みとばしてしまう可能性があるので注意。

プラトン的「場」の理論は、哲学的な言説に関わるのであれば抑えておいた方がよいところではある。

ところで、「場」というものは――デカルトならば、それは理性によって把握されると考えたであろうが――、プラトンの場合は、それが延長体である限り、言論によって把握される非延長的な理性の対象とは区別され、どこまでも「擬いの推理」によって捉えられるものだとしている。ただし、・・・

ティマイオス』解説より

「場」において「その都度生起する」生成というティマイオスが語る宇宙論は、語られたのち2000年を過ぎても色褪せずにわれわれに問いかけてくる言説である。

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【付箋箇所】
29a, 34a(注1), 52d, 90a, 90c
【解説付箋】
264, 273, 277, 287, 289


プラトン
B.C.427 - B.C.347
種山恭子
1931 - 1995