読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

八木雄二 訳著『カントが中世から学んだ「直観認識」 スコトゥスの「想起説」読解』(ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス 1265-1308 『オルディナチオ:神と世界の秩序についての論考』第45章の翻訳と注釈 知泉書館 2017)

身体を離れた霊魂のうち罰をまぬがれ神にまみえることが許された至福者の至福、このキリスト教の世界での至福直観を理論づけるために、身体という「個別」質料に関わる感性と、「普遍」形相に関わる知性を結びつけるものとして、はじめて「直観」という概念をつくりあげたのが中世スコラ学の神学者ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスでるということを、スコトゥスの主著『オルディナチオ:神と世界の秩序についての論考』で該当する章を丁寧に訳出し段階的に注釈を加えていくことで、門外漢の一般読者にもじっくり伝えていこうとする、哲学や神学に関する基礎的教養の貴重な導入書。感性と知性を繋げるための記憶と想起の通路としての直観というロゴス(言葉・論理)が要請された歴史的文化的背景を再現させながら読者の理解を導いてくれている。

(『純粋理性批判』の)カントは個別の直観が知性の総合的判断を構成することができることについては、とくに問題を感じていない。また、それを常識と見なしているようである。しかし、じつは中世では、知性は「普遍」にかかわり、他方、感覚は「個別」にかかわることが哲学の常識であった。それが、まさに感覚と知性の区別であった。すなわち、知性と感覚は、その認識対象において峻別されていた。言い換えると、一方が他方の要素になることは絶対にないと見なされていた。したがって、個別にかかわる直観が、どのようにして感覚を超えて普遍者をとらえる知性の領域に入り、その判断を構成する要素となるかについては、本来なら、詳細な検討が必要なのだ。
(「はじめに」p11 )

直観は知性の側にあり、感覚の個別性から知性の側での判断を構成する要素となるものを抽出するはたらきをする、というスコトゥスの思想がテクストの順を追って注釈本文で明らかにされていく。地味な手続きにも見えるが、知の土台が築かれていくダイナミズムを感じることのできるすぐれた書物なのではないかと思う。

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【付箋箇所】
解題(実際はローマ数字) 11, 31, 34
読解本文 11, 92, 106, 124, 146, 147

目次:

はじめに
解題

I スコトゥスの視座
Ⅱ 想起する能力は感覚的か知性的か
Ⅲ 抽象と直観の区別
Ⅳ 知性のうちの記憶と想起
Ⅴ 異論への回答

おわりに

ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス 
1265-1308
八木雄二
1952 -