読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ハンス・K・レーテル『 KANDINSKY カンディンスキー』(原著 1977, 美術出版社 世界の巨匠シリーズ 千足伸行訳 1980)

カラー図版48点に著者ハンス・K・レーテルによる図版解説と序文がついた大判の画集。油彩だけでなく木版画リトグラフなどの作品にも目配せがされているカンディンスキーの画業全般の概要を知ることができる一冊。全油彩点数1180点から見れば、参照用のモノクロ図版を含めてでもほんの一部にしかすぎないのかもしれないが見応えも読み応えも十分にある。時間と空間を超えた童話的性格とかパウル・クレーとの関係とかアーノルト・ベックリンからの影響とかカンディンスキーの発言の引用とか情報として価値の高いものが多く、また画家として大きくスタイルを変えていったカンディンスキーの歩みを図版からだけでも確認することができるので利用価値あるいは観賞価値は高い。抽象画に舵を切りはじめた1910年とより幾何学的で色彩の明度が上がった第一次世界大戦終焉後の1920年が分水嶺のように見える。ピカソ熊谷守一など生涯のなかで大きくスタイルを変える人も複数いることは確かだが、カンディンスキーのスタイルの変りかたには知的感性的両面の驚きをより強く感じる。後期印象派的な30代後半の作品とロシアイコン画的な感覚がにじむ40代初期の作品、抽象画を確立しはじめた40代中期から後期にかけての形象が溶解しているような作品と50代以降の明るい幾何学的な作品が同じ人の手になるものとはかなり想像しづらい。第一次世界大戦をはさんでの抽象画の変わりようについては、鑑賞しながら自分でその差異を表現してみたい気分が出てきて、メモしつつ何度か画集を行き来してみた。

青からオレンジへ

暗く沈潜化した精神的なものから明るく浮上する精神的なものへ

幽冥界に通じた世界から平面的で直観的な叡智界に通じた世界へ

過去から未来への反転。蓄積から創生へ

心象風景から幾何学的構成へ

溶解から結晶化へ

老いに差し掛かってから明るく明晰になってくる作家は画家だけではなく詩人や批評家や哲学者など多分野で見られるが、単純によりよいものへの移行という面だけではなく、生の下り坂に差し掛かる前にある不穏なものとの係わりというものを晩年の作品が逆に興味深く照らしてくれるところがあり、全体としてより豊かに作品鑑賞の切り口を作家自身が提示してくれているので、こういったタイプの作家はより魅力的になる。

カンディンスキーの場合後期の幾何学的抽象画にはピラミッドやヒエログリフなどのエジプト的なものへの嗜好があるように感じられ、そういえば1912年刊行の芸術年間誌『青騎士』にエジプトの影絵芝居の切抜絵がたくさん散りばめられていたことが思い出されたりもした。エジプトの造形志向からの類推で、カンディンスキーは新しい象形文字をつくり出そうという心の動きをもっていたのではないかと勝手に想像したりもした。

みごとな創作意欲、必然性あふれる内発性だ。しかし全油彩点数1180点とはすごい数だ。岩波書店から『カンディンスキー全油彩総目録』というものが出ているらしいので、今度のぞいてみたい。

【付箋箇所】
7, 12, 16, 2228, 29, 38, 41, 42, 61, 74, 84, 90, 104, 114, 118, 120, 124, 128, 133, 136, 141, 142, 154, 157, 166, 

ワシリー・カンディンスキー
1866 - 1944
ハンス・K・レーテル
1909 - 1982
千足伸行
1940 -