読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ノヴァーリス『青い花』(原著 1802, 岩波文庫 青山隆夫訳 1989)

未完ながら初期ドイツロマン派の良心が結晶したような詩的な小説作品。夢みる詩人が旅をする中で出会った人たちに関係しながら精神的に成長し世界の奥行きを覗き見るようになっていくとともに、運命の女性との出会い成就するまでが完成された第一部「期待」までの内容で、このプロローグ的な現実界の話が、第二部「現実」において壮大に神話的にもコスモロジー的にも展開されていこうかというところで作者の死によって中断されている。しかしながら一部だけでも十分よく構成されていて満足感は強い。作品中の作品として複数の物語(ノヴァーリスの用語ではメールヒェン)が挿入されていて、それぞれが後々の展開の伏線になりながら完成された世界を描き出しているところが、満足感を産む要因となっている。

いろんな言葉、いろんな考えが、生命を与え果実をみのらす花粉のように、自分の心の奥までふりそそがれ、自分をこれまでの青春の狭い圏内から、一気に広い世界の高みへと押し上げたのだ。
(第1部 第5章 p141 )

「花粉」は1798年8表の哲学的断章の題名でもあり、ノヴァーリスにとっては自分の思想の重要な概念でもあったであろう。それが小説のなかにも大切に埋め込まれているところに感動したりもした。

フモール諧謔〕とは、制約されたものと無制約なもの〔絶対的なもの〕を自由に混ぜ合わせた結果、生じるものなのだ。特殊限定的なものもフモールによって普遍的興味のあるものとなり、客観的な価値をおびる。想像力(ファンタジー)と判断力が触れ合うところに生じるのが、機知(ヴィッツ)である。理性と恣意が組み合わさると、フモールになる。
(『花粉』断章29 今泉文子訳)

制約された生身の詩人の肉体と思考が、永遠に属する神話的なもの天上的なもの宇宙的なものと関わることで、肯定的なフモール諧謔、ユーモア〕の味わいが生み出される。19世紀へと移行する激動の西欧世界のなかで、甘いばかりでなく厳しさと滋養に満ちた精神的な世界が『青い花』で展開されている。ノヴァーリス的「フモール」の作品。

 

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ノヴァーリス
1772-1801
青山隆夫
1939 -