読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

北川省一『良寛、法華経を説く』(恒文社 1985)

在野の良寛研究家北川省一の著作のうち良寛法華経研究および法華経信仰を記した漢詩文『法華讃』『法華転』を読み説きながら良寛の法華観を考察した書物。大学に在籍する研究者とは異なり、資料の処理考察における厳密性に関する信頼度についての危うさ、感情移入が時に大きくなる記述の揺らぎなど、研究考察の書としてどこまで受け入れていいものか少し考えさせられるところもあるが、他書ではあまり強調されない良寛の経典に向かう時の近代性など、自分で確かめてみたくなるような指摘は刺激になる。

良寛は、いわば近代を先取りした見識をもって、法華経を受持していたのです。彼はもちろん法華経を、地獄極楽の話と同様、歴史的所産であることを知っていた。彼が繰り返し「看経(かんきん)、須らく看経の眼を具すべし」といい、「切に忌む、文に随って謾(みだ)りに東西するを」「笑うに堪えたり、諸方の暗黒豆(あんこくず:経典の文字・言句にとらわれる学僧)」「憐れむべし、諸方の暗黒豆」と書いているのがそれだ。経を看る眼が肝心なのだ。そして、私たちは良寛の看経眼の清新にして卓抜、徹底して近代的なのに驚かされる。
(「あとがき」p259)

良寛は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶。18世紀から19世紀にかけての文化環境に生きた人物である。同年生まれには念仏聖の徳本がいる。 本居宣長が『古事記伝』を完成させたのが1798年十返舎一九東海道中膝栗毛』が1802年で、日本では近代的というところまではまだ到達していない時代と思った方が良いだろう。だから、良寛の看経眼は近代的というよりも、言詮不及や不立文字といった禅の教えが貫徹しているために、大乗仏教の核心としての今ここがすなわち浄土であるという認識から出てきた言葉であると捉えるほうがどちらかといえば自然であると思うのだが、著者北川省一があえて良寛を近代的というふうに捉えたインパクトは大きい。法華経ばかりでなく、道元万葉集、碧巌録や寒山拾得詩など、どのような視点から読み込んでいたのか改めて確認したいという思いを湧き上がらせてくれる。また仏教への信仰が教義的な側面においていかなるものであったのかよりよく知りたいという気持ちにもさせてくれる。そういうこともあって、著者に対しては良寛愛好の先人として興味深い仕事をしてくれたことに感謝の思いが強い。


【付箋箇所】
29, 31, 49, 74, 84, 86, 87, 96, 98, 99, 102, 106, 108, 124, 133, 134, 136, 140, 141, 145, 190, 194, 195, 199, 211, 215, 217, 228, 237, 259

 

北川省一
1911 - 1993
大愚良寛
1758 - 1831