読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

山内志朗『感じるスコラ哲学 存在と神を味わった中世』(慶應義塾大学出版会 2016)

感覚を持つ身体を基体として、個体性をもったハビトゥス(習慣)が生まれ、人生がかたちづくられる。ハビトゥスが方向性を生み出しながら、それぞれの生が営まれることを、主に中世の修道院の生活から解き明かしていったエッセイ的論考。中世の精神と生活の具体相を、人間の感覚と世界の交わりとの観点と、神学を中心とした中世哲学とキリスト教の信仰生活から、ゆるやかに描き出した語り口のまろやかな一冊。

感覚は現在を測る器官ですが、経験において繰り返され、記憶や身体図式のなかにとどまるものとなり、未来を組み込む能力になったときにハビトゥスが生まれます。「実体」という閉じた枠組みを飛び出し、未来をあらかじめ取り込みながら、関係性を基礎にしようというのが一四世紀に現れた流れだと思っています。
(「終わりに」p183-184)

身体を捨象した抽象的な思惟可能性よりも、身体とともに具体的な経験的世界を形づくる表象可能性の重要性を再考しようと書き上げられた本書では、表象不可能なもの(例えば宗教的な法悦と苦痛)に向かいながら、それを表象のなかに取り込もうとしたマイスター・エックハルト以降の神秘主義の系列が再評価される。神秘主義者各個人の具体的な体験とそれについての言語的記述は、中世世界ではより下位に位置づけられていた感覚のうち味覚と触覚に親和的であるということをより大きな視点から描き出すために、味覚と味覚になぞらえられる感覚としての味わいや趣味嗜好の西欧中世世界での様相が広く語られているのも興味深い。飲料に適した水の不足からワインが常用の飲み物として朝から飲まれていたという時代的文化的背景を皮切りに、ワインがもたらす各種酩酊のキリスト教世界における罪の軽重に話が及び、酩酊から宗教的法悦へと話がスムーズに展開していくところは、読んでいて心地よい。
ほかに、プラグマティズムの哲学者チャールズ・サンダース・パースのスコラ哲学への傾倒と、詩人ホプキンスのドゥンス・スコトゥスへの親炙、アッシジの聖フランチェスコへの言及などに興味がひかれた。

 

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【付箋箇所】
7, 9, 18, 27, 33, 36, 45, 56, 108, 114, 137, 140, 146, 152, 154, 170, 172, 174, 181, 183

目次:

前書き ―― スコラ哲学の感覚

Ⅰ 中世の五感
第一章 中世における「感じる」こと
第二章 霊的感覚と味覚
第三章 ワインの中の中世神学
第四章 神に酔う神学

Ⅱ ハビトゥスから神秘主義
第五章 ハビトゥス形而上学
第六章 享受の神学的背景
第七章 神秘主義という感覚

終わりに

 

山内志朗
1957 -