読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

長尾真, 遠藤薫, 吉見俊哉 編『書物と映像の未来 グーグル化する世界の知の課題とは』(岩波書店 2010)

特定の私企業に知的財産権があるものの運用や保管を任せてしまっていいものか、すべてがデジタル化されてしまっていいものかという懸念を広く取り上げた一冊。市場原理にしたがう私企業が突然の態度変更することへのおそれと、デジタル化した後の紛失や劣化あるいは保存媒体の規格外れによるアクセス不能などによる資産価値の劣化および喪失に対するおそれが、各論者たちの論考の背景として色濃く浮かび上がってくる。その不安は妥当なもので、図書館や博物館あるいはフィルムセンターなどの公的機関による取り組みの重要性が説かれている意味も十分に理解できる。後はどれだけの予算をかけるべきものなのかというところの話になると思うのだが、具体的なコストの見積もりはほとんどなされていない。コンテンツの生産と維持保管にかかる費用がどれくらいの規模になるか、それが利用者だけでなく非利用者を含めて文化的納得できる金額かどうかということになると、かなり難しい議論になってくるのだろう。第3章「書物の公共性とは何か」で元平凡社編集局長の龍澤武が語っているところによると、2008年現在、全国に3126館ある公共図書館によって、人文書でいえば1000部購入されるようになれば、人文系出版文化の再生産が可能になると見積もられている。美学者で国会図書館館長でもあった中井正一も部数は違えど公共図書館による研究書の購入がされれば知的文化が守られるというようなことを言っていたが、専門家の研究書に重点的に公的予算が割り振られることにどれだけの人が納得するだろうか? 例えば今年岩波書店から新たに刊行されるスピノザ全集が1000館1000冊も必要だろうか? 1県当たり20冊を超えるスピノザ全集があるという事態はそれほど悦ばしいことではない。死蔵されているに過ぎない状態が目に浮かんでくる。蔵書として保管するスペースも限りがあるのだから考えなければならなし、生産年齢人口が減り続けるのであるから予算の使い道はいままで以上に十分に慎重でなければならない。文化が衰退するのは避けたいところではあるが、何もかもうまくいくようには世の中はできていない。大方の理解を得られるところでエキスパートの人たちに舵取りをしていってもらうほかはないような気がしている。

 

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【付箋箇所】
4, 8, 10, 36, 41, 44, 45, 57, 62, 64, 84, 85, 98, 137, 155, 159, 160

目次:
はじめに

I 書物の未来

第1章 書物と図書館の未来 長尾真〔国立国会図書館長〕
第2章 グーグル問題とは何か 柴野京子東京大学大学院学際情報学府博士課程〕
第3章 書物の公共性とは何か――グーグル問題をきっかけとして考える 龍澤武〔東アジア出版人会議理事・元平凡社編集局長〕
第4章 グーグル・ブック・サーチ――近未来の著作権 名和小太郎情報セキュリティ大学院大学特別研究員〕
コラム 書き手としての立場から 上野千鶴子東京大学大学院教授〕

II 映像とネット文化の未来

第5章 映画文化財の長期保存――問題点の整理とフィルム・アーカイブの役割 岡島尚志東京国立近代美術館フィルムセンター主幹/国際フィルム・アーカイブ連盟会長〕
第6章 放送アーカイブの新たな動き――「公共的利用」の視点から 大路幹生〔NHK放送総局ライツ・アーカイブスセンター長〕
第7章 これは誰の映画か?――ドキュメンタリー映画とアジアの共通の記憶 テッサ・モーリス―スズキ〔オーストラリア国立大学教授〕
コラム 映像アーカイブの社会的共有とメディア・リテラシー 伊藤守〔早稲田大学教授)
第8章 メタ複製技術時代における〈知〉の公共性 遠藤薫学習院大学教授〕
第9章 公共知の未来へ――デジタルの衝撃とメディア文化財 吉見俊哉東京大学大学院教授〕