読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

千葉雅也『現代思想入門』(講談社現代新書 2022) シュワシュワのデリダを引き連れてくる軽業師、千葉雅也。軽さの美学に貫かれた驚くべき一冊。先ずは、つまみ食いすべし

出版間もないのに非常に評判の高い一冊。買おうかどうか迷ったら、ゴシック体で強調しているところをたどって書店店頭で判断すればよいという徹底して初心者に優しいつくりにもなっている。
浅田彰の『構造と力』が天使的軽さを目指しながらまだ大天使の大きな存在の影で下々を圧倒する体裁になっていたのに比べ、論ずる対象がだいぶ重なっているにもかかわらず、ライフハックの手段として現代思想を利用してみればよいのではないでしょうかと、個人の実生活の感覚レベルにまで落とし込む徹底した世俗性が、信じられないくらいの軽やかな味わいを読者に齎してくれる。
千葉雅也が創るのは、自身独自のリキュールも巧みに合わせた現代思想の口あたり良いカクテル。千葉雅也にしか創ることのできない創造的カクテル。シュワシュワのデリダなんてものは、他ではお目にかかれない逸品だ。

一切の波立ちのない、透明で安定したものとして自己や世界を捉えるのではなく、炭酸で、泡立ち、ノイジーで、しかしある種の音楽的な魅力も持っているような、ざわめく世界として世界を捉えるのがデリダのビジョンである
(第一章「デリダ―概念の脱構築」p50 ゴシック体部分)

「炭酸で、泡立ち、ノイジーで、しかしある種の音楽的な魅力も持っているような、ざわめく世界」。このあたりが千葉雅也が芸術的と感じ、自身の概念構築にも大きな影響を与えている固有の美的世界観なのではないかと思う。2018年刊行作『意味がない無意味』ではより強く芸術系の興味対象の傾向が出ているが、本書『現代思想入門』は、千葉雅也が主戦場とする20世紀後半以降のフランスの思想圏に対象を限定した華麗なマッピングになっているのではないかと思う。
実際に読んでいて浮かんでくる名前は、語りの対象としては取り上げられないロラン・バルトであったり、日本でいえば九鬼周造であったりするのだが、もっとも近接するのは(最後のフーコーの遺作に関しての言及は別として)蓮實重彦の処女作『批評あるいは仮死の祭典』(1987年)なのではないかと思ったりもする(現在手許にないのが残念)。批評家と哲学者の違いということもあり、千葉雅也は自身の概念を積極的に論考のなかに埋め込んでいるのも、逆に分かりやすい部分があって親しみが湧くが、親しみやすい千葉雅也から自称狂人たる蓮實重彦へと遡行して、蓮實重彦を読み直すというのも思想的にはひとつの日本的な振舞い方であると思う。一世代前の東浩紀への参照から、さらに先行する蓮實重彦へ。三人とも小説も書いているが、千葉雅也だけはまだ未読であったのは、失望するんじゃないかというおそれもあってのことだったが、今回の書きっぷりを見て小説も読んでみようと考えさせられた。そういう意味も含めて、現実世界でなんらかのチャレンジを促す実用的な一冊に仕上がっていると思う。うたい文句は「人生が変わる哲学」。少なくとも読んだ後は、千葉雅也がいる世界での人生になる。

 

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目次:
はじめに 今なぜ現代思想
第一章 デリダーー概念の脱構築
第二章 ドゥルーズーー存在の脱構築
第三章 フーコーーー社会の脱構築
ここまでのまとめ
第四章 現代思想の源流ーーニーチェフロイトマルクス
第五章 精神分析現代思想ーーラカンルジャンドル
第六章 現代思想のつくり方
第七章 ポスト・ポスト構造主義
付録 現代思想の読み方
おわりに 秩序と逸脱

千葉雅也
1978 -
ジャック・デリダ
1930 - 2004