読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

アダム・ミツキェーヴィチ『祖霊祭 ヴィリニュス篇』(未知谷 ポーランド文学古典叢書8 関口時正訳 2018) 過酷さと享楽の臨界点への道行き

19世紀前半のポーランドを代表するロマン派詩人アダム・ミツキェーヴィチの最高傑作とも言われる未完の詩劇『祖霊祭』の関口時正による編集翻訳作品。最後に書かれたという第三部は、政治色が濃く、また分量も突出して大きく、他のテクストからの独立性が高いと判断されたために除外されているが、本体部分全214ページを読み通した印象では、かえって緊密な構成におさまっているようで、編集方針としては正解なのだと思う。第一部、亡者、第二部までの比較的大きなシーンを断片的に重ねた前半103ページは、説明抜きの場面切り替えの意外性あるいは不透明性などは現代作品の編集法にも似ていて新鮮さを感じさせ、物語をまとめるような第四部は、狂気と正気を行き来する圧倒的なセリフ展開で一読内面的に騒然となる。救いのないことの救いを甘受してもいるかのような悲劇的作品は、ずっしりと腹に残る。
東方正教会とそれ以前の民族的宗教慣習である祖霊祭の相剋、情念と知性、世俗の愛と知と書物の中での愛と知の齟齬、それぞれに経過する時間の違いとそれによって倍加する恩愛のこじれ。不運に焚きつけられる痛ましいまでの妄執。物語の背景となる19世紀前半東欧の時代状況にあって、自身の責任においては決定的にまちがいを犯してはいないであろう人物の転落の軌跡。過去にいっとき成立した幸福への執着が強いがゆえに、その過去に縛られ、移り行く現在の状況を受けいれられなくなった者の、ひとつの生の到達点が見える。最低だと思いながらも至福が排除されていない、複合し圧縮された時間に向き合わされる作品なのではないかと思う。

その時が来るまでは、断罪された魂とともにさまよいつつ、
自分は光を好まぬにも拘らず、光めがけて飛び込まねばならぬ。
闇の霊たちにとっては、それこそが最も過酷な拷問なのだ!
見よ、色鮮やかな衣装で着飾ったこの蝶は、
・・・
(「第四部」p218)

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【付箋箇所】
12, 44, 55, 131, 157, 188, 196, 205, 218

目次:
はじめに(訳者から)
第一部(未刊の草稿)
亡者
第二部
第四部
訳者後記

アダム・ミツキェーヴィチ
1798 - 1855
関口時正
1951 -