読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

入矢義高『良寛詩集』(現代語訳 禅の古典12 講談社 1982)

良寛自筆詩稿「草堂詩集」235首のうち重複を省いた184首と、岩波文庫版『良寛詩集』から47首を追加した全231首の漢詩に、読み下し文と現代語訳、訳注を施した充実の一冊。良寛も愛読した寒山詩についての仕事(岩波書店刊中國詩人選集5『寒山』 1958)と同様に、中国の先行する詩や文献への言及に見られる入矢義高の学識の深さと読解の精緻さは驚くべきもので、そこから詩に詠われたものを損なうことなく現代口語訳への大胆で味わい深い変換がなされていることも素晴らしい。良寛詩によりよく接することができるよう配慮がほどこされているのがうれしいアンソロジーである。特に、訳注をじっくり読むことで、良寛自身がいかに先行文献や経典に通じていたかが分かり、良寛自身の身に沁み込んだ教養の深さにも驚かされる。それほど多くの書物を持ち合わせてはいなかったであろう貧しい草庵での生活のなかで編まれた詩であることを思うと、良寛が読み込んできた書物がことごとく血肉化されている状態が思い浮かび、内的素材の充実が詩の味わいをより確かで濃いものにしていることを知る。

孰謂名実賓
斯言自古伝
唯知名非実
不省実無根
名実不相関
随縁須自怜

訳注を読むと『荘子』の逍遥遊篇の語句から説きおこしはじめ、大乗仏教の空性・無自性の説につなぎ、達磨大師『二入四行論』に説かれる「随縁行」で締めているという。最終2行の読み下しと現代語訳はつぎのとおり。

名と実は相関せず
縁に随って
須らく自ら怜(いとお)しむべし

 

名と実とは関わりのないものなのだ
自らの置かれた条件のままに
自分を大切にすることこそが肝要だ

訳者入矢義高は、良寛が好んで用いる「随縁(縁に随う)」の語句を、同様に好んで用いられている「任運(運に任せる)」と併せて、単純な現状肯定でも諦念でもないとして、巻頭の全体案内で以下のように解説している。

(引用者追記:現実の耐え難い寒暑を)回避するのでもなく、また超克しようとするのでもなく、逆に徹底してそれを我が身に背負い込むことである。甘受の諦念ではなくて、捨身の無作行(むさぎょう)である。

「捨身の無作行」。まるごと受け入れたうえで、味わい、自身の実践に結びつけるという、大乗仏教本来の志向性に、良寛自身の本来的性向が強く反応し、愚直なまでの禅生活が実行される。教えを正しく実践する強さと、教えに従っていても現実の厳しさに萎れ恥じ入る弱さの両極が、虚飾なく詠いあげられるところに良寛漢詩の魅力がある。自分が泣いている姿を詠ったときには、修辞ではなく、本当に泣いている姿が浮かんでくるのだから、詩としてはこれ以上望むことはない高みに達している。

秋日苦無悰
倚杖独徨翔
山空茱臾赤
霜落蒹葭黄
過橋非他橋
升堂亦此堂
如何西風晩
寂寞涙沾裳

入矢義高訳:
秋の一日、楽しみのないのに堪えかねて
杖をつきつつ独りでさまよい歩いた
ひっそりした山中にグミの実は赤く
霜を帯びてヨシとカヤは黄色に枯れている
橋を渡ったが、いつもと違った橋なのでもなく
座敷に上がったが、これもいつもの座敷でしかない
なぜとも知らず、秋風渡る夕暮れに
心寂(わ)びて涙は裳(もすそ)を濡らす

寺に属することもなく薄い僧衣一枚で心身ともに寒々しいわび住まいをつづけるなかでの秋の夕暮れ。打ち捨てられた身と想いだけが、生のまま、無防備に描き出されている。ただ寄り添うしかないような痛ましさに打たれるばかり。


入矢義高
1910 - 1998
大愚良寛
1758 - 1831