読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

朝比奈緑+下村信子+武田雅子 編訳『【ミラー版】エミリ・ディキンスン詩集 芸術家を魅了した50篇 [対訳と解説]』(小鳥遊書房 2021)

様々な分野の作家に大きな影響を与えているエミリ・ディキンスンンの詩の世界を、各分野で参照引用されている作品を取り上げながら、原詩と新訳と解説で詳しく多角的にとらえている最新アンソロジー。音楽、アート、絵本、映画、演劇、詩と小説、書評、評論とエッセイ、インタビューと講演の9分野に分けて、ディキンスンの詩がどれほど愛されているか、どれほど深く読まれているかが紹介されている。50篇の詩に対して全466ページ、1篇あたりに9ページの分量が割り振られていて、その詩が書かれた当時のディキンスンと生地アマーストの状況、他の詩篇や手紙との関連紹介、詩に影響を受けた作家たちの仕事を手際よくしかも魅力的に案内してくれている。訳と解説が三名の役割分担によって構成されているが、担当者の違いによる肌触りの違いは抑えられていて、全篇通してじっくり落ち着いて読ませてくれる。本の厚みは内容の厚みときれいにリンクしていて、エミリ・ディキンスンにより近づけるとともに、エミリ・ディキンスンを読む様々な人の情熱からも影響を受けて、ディキンスンの詩の存在が、読み手としての私の中で大きくなっていくのが分かる。紹介された作品のなかで特に気にかかったのは、レスリー・デイルのアート作品『白い詩のドレス』(白いドレスにディキンスンの詩の言葉を印字させた彫刻の作品)、武満徹の曲とインスピレーションの元となった言葉、パウル・ツェランの翻訳だ。パウル・ツェランとエミリ・ディキンスンの結びつきは、長田弘とディキンスン、マリアン・ムアとディキンスン、吉増剛造とディキンスンなど、ほかの詩人たちとのカップリングを超えて、興味を湧きたたせる。全8篇、あるいは全10篇と言われるツェランの訳業は、機会があるなら是非とも見てみたい。

甘美な歩みよ、私たちが呼べばやって来る!
今の私は、一世紀かかっても進めるのはただの一歩
なんとゆっくりと風は――なんとゆっくりと海は――
なんとゆったりと、風や海は羽ばたいていることか!

こちらは50篇の詩のなかには含まれていないが、解説文の中で取りあげられたディキンスンの手紙の中の詩篇で、ミラー版の全集には詩として取られていない言葉(フランクリン版1607の詩篇)。ディキンスン53歳の時の手紙の中の詩篇で、この時は病気で動けない状態であったともいう。この詩から発想を得て書かれたのは、作曲家武満徹のオーケストラのための曲『なんとゆっくりと風は』。こちらもいつか聞いてみたい。

 

※2022/04/30追記

武満徹のオーケストラのための曲『なんとゆっくりと風は』は、「ハウ・スロー・ザ・ウィンド 13M39S」としてパーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK交響楽団演奏でソニー・ミュージックジャパンインターナショナルからでているCD『20世紀傑作選2 武満徹管弦楽曲』の三曲目に収められているのを聴いた。ディキンスンの詩の印象では日中の明るい太陽のもとで吹いている風であったが、武満作品は薄明時の仄暗さのなかで、時に光が洩れる神秘性にアクセントが置かれているようで、その変化の様相が印象深く残った。

www.tkns-shobou.co.jp

【付箋箇所】
56, 88, 89, 106, 111, 113, 115, 160, 191, 194, 237, 247, 255, 279, 285, 294, 309, 313, 314, 317, 321, 329, 336, 348, 350, 368, 373, 401, 403, 407

エミリ・ディキンスン
1830 - 1886