2014年の博士論文「本質と実在 ― スピノザ形而上学の生成とその展開」をベースに編み直された著者初の単著。慶応大学出なのに法政大学出版会というちょっと変わった期待のかけられ方を感じる著者で、あとがきによると、ライプニッツと中世哲学を専門領域とする山内志朗や、肩書的には人類学者兼思想家といったところの中沢新一の教え子のようで、どことなく異物感異能感を期待してしまう人物ではあるが、実際の著作はいたって標準的。地味ではあるが手堅く丁寧で芯が通ったまずまずの良書ではないかと思う。
未完に終わった『知性改善論』のアポリアである個別的な「もの」の存在を、『知性改善論』と主著『エチカ』から論じようとしている著作。本書と並行して岩波文庫畠中尚志訳の『知性改善論』全篇と『エチカ』を半分くらい読み返してみたが、90年前の『知性改善論』の畠中尚志の解説による「個物の認識」についての記述からそれほど進歩していないような印象をもった。
ただ、著者がスピノザの『エチカ』に見る決定的な論点、「潜在態、可能態という存在の様式」が排除されていること、「可能的なものの存在の余地」がないことと、「個別的なもの」が「様々なスケールのもとで入れ子構造をなしつつ、自然全体の部分を構成している」ひとつの「結節点」にほかならないということについては、この書物の存在とともに記憶しておくに値することだとも思った。
私たちは、『エチカ』が理解させようとした存在の内実を、結果を必然的に産出する原因であることに見定めた。この存在の力動性、その背後にいかなる基体をも持たない純粋な産出的活動性としての峻厳な現実――これはしかし生そのもの以外の何だというのか。
(第四章 Ratio seu Causa――原因あるいは理由 第七項「絶対的合理主義」p170 太字は実際は傍点)
必然的に産出された生、そして活動、思考、書物。ある個別的なものの必然性の耀きを、外部の個別的な生の担い手としてじっくり見極めていかなければならないだろう。必然的に続けられていくであろうこののちの仕事にも注目していきたい。
【付箋箇所】
4, 10, 33, 43, 58, 59, 69, 77, 83, 105, 110, 112, 114, 121, 123, 168, 170, 173, 182, 192, 198, 200, 24, 217, 227, 250, 253, 256
目次:
序 論
第一章 スピノザ哲学の開始点――確実性の問題
第二章 実在と本質――スピノザ形而上学の問題
第三章 スピノザ形而上学の構造――本質・実在・力能
第四章 Ratio seu Causa――原因あるいは理由
第五章 個別的なものの実在と本質
第六章 本質・実在・力能――永遠性
結 論 力の存在論と生の哲学
秋保亘
1985 -
バールーフ・デ・スピノザ
1632 - 1677