読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

全国良寛会 監修 竹村牧男 著『良寛「法華讃」』(春秋社 2019)

良寛には法華経を称えた「法華讃」「法華転」と言われる漢詩作品集が四種あり、本書のもとになっているのは原詩102篇と著語(じゃくご)と言われる短い感想を述べたものと溢れる思いから書き添えられた和歌数篇からなる最大のもの。新潟市所蔵の良寛直筆の原資料を最新の高解像度カメラによって撮影し、いままで判読困難だった部分も新たに判別した上で、原文と書き下し文を小島正芳、現代語訳と解説を竹村牧男が担当している。巻頭には全編カラーで良寛の筆になる「法華讃」原資料が38編にわたって紹介されている。書道の世界でも名品とされる良寛の書は、書に疎い素人の目にもたいへん愛らしく映り、不思議なもので心がなごむ。法華讃の内容の深さと厳しさを上回る良寛の慈愛に満ちた言語のたたずまいが、仏も解脱も何も信じない或いは信じられない者へも、知性の光と愛とを届けてくれているようだ。信心なき者でも、良寛と同じ文字同じ言葉を使う縁から、悟道の随伴者として勝手に引き上げられているようなのだ。漢訳仏典から採られた言葉なしに日本語では考えることはほぼ不可能であるし、生きていくのもままならないのだから、仏者の教えには関心は持つべきである。信仰はなくとも好きな仏者は何人か出てきてくれるので、そこにすがってみる。信じていなくても言語のストックと配置が変わるので、読みすすめば読みすすむほど影響は大きく受ける。言語を超えるものを捉えるためには言語領野の影や淵に関する思考の蓄積としての書物があるに越したことはない。

方便品3

【原文】
是非思慮之所及 誰以寂黙誇幽致
有人若問端的意 諸法元来祇如是

【解説(部分)】
諸法実相は、言語・分別によってとらえることはできないが、単なる虚無でもありえない。主客未分の一真実が現成しているところに、悟道の風光はあり、しかもそれは、我々の分裂した主客の直下に、もとより働いているのである。
良寛の禅は、「只這是」(只だ這れ是れ:ただこれこれ)に窮まる、というのが私の見方であるが、「諸法は元来祇だ如是のみ」も、まさにそのことそのものである。

大学時代から良寛を論じ、第一作の『良寛の詩と道元禅』(1978)から数えても40年以上良寛を読みつづけている竹村牧男の現代語訳と解説文も良寛理解を大きく助けてくれている。

反省主体なしに没入できる世界に出会いつづけ、しかも矩を踰えないでいること。信心の有無にかかわりなく、この世界と十全にまみえること。「是」を味わえる、この生、この時を慈しむこと。生きているうちが法の華としての私であるだろう。

 

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目次:
序 … 泉田玉堂 老師(大徳寺第五百三十世)
序文… 長谷川義明(全国良寛会会長)
良寛と「法華讃」… 小島正芳(一般財団法人良寛会理事長)
法華経』(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)について… 竹村牧男(東洋大学学長)
「法華讃」解説…竹村牧男(東洋大学学長)

竹村牧男
1948 -
小島正芳
1951 -