読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

谷川敏朗『校注 良寛全歌集』(春秋社 2003, 新装版 2014)

1350首もの歌を残した良寛には歌人という意識はなかったものと見える。漢詩においては禅僧の活動としての偈頌が含まれていたり、50歳を過ぎてから10年ごとに遺偈(禅僧としての最後の感懐)を残したりと、かなり形式的なものを踏まえて詩作していたのに比べて、歌については、興が乗った時に思うがままに書きとめていた、もしくは、紙がないときには口誦しつつ記憶しそののちに書きとめたという具合で、構えがなく、良寛のより生の声の部分が響いている。そういうこともあって、禅僧としては果たしていかがなものかと思われる、飲酒の場面であったり、肉食(魚)の場面であったり、憂い悲しみ或いは後悔や迷いの表明であったり、晩年の浄土門への傾斜であったりという、人としての脆さや弱さが詠われていて、読み手としては戸惑いつつも、その衒いのない人間らしさに引きつけられる。
歌人ではないが文芸に親しむ家の血を継いでいること、幼少期から書物に親しみ続けたこと、諸国放浪を終えた39歳以降に地元越後にかえり地方の風流人と交際を持ち、「新古今調」「古今調」「万葉調」と自身の歌風を歳とともに変えていったことが良寛の歌に深みと彩りを与えている。短歌、旋頭歌、長歌という和歌の形式を横断しながらの歌作は、短歌の純粋心情表明とは違ったより複雑な屈折した心象世界を伝えてくれるので、良寛という一人の歌人ならざる歌人の世界をより鮮明に伝えてくれている。僧としても破格な人物であった良寛は、日本の近世の詩人としても破格の存在であったことが歌を見るだけでも感じ取れる。詩の世界においては、歌だけでなく、俳句も漢詩も一流といってよい作品を持っているのだから、その存在はかなり特異だ。日本の19世紀に心揺さぶる長歌を残しているところも良寛ならではで、ほかになかなか思い浮かばない。

0470 木にもあらず 草にもあらず なよ竹の 数ならぬ身ぞ 我は恋しき

0491 世の人に まじはる事の 憂しとみて ひとり暮らせば 寂しかりけり

0708 久方の 長閑き空に 酔ひ伏せば 夢も妙(たへ)なり 花の木の下

1116 いざさらば 蓮(はちす)の上に うち乗らむ よしや蛙(かはず)と 人は言ふとも

1300 我が後を 助け給へと 頼む身は 本(もと)の誓ひの 姿なりけり

1338(部分)
久方の 長き月日を いかにして 世をや渡らむ 日に千度(ちたび) 死なば死なめと思へども 心に添はぬ たまきはる 命なりせば かにかくに すべのなければ 籠り居て 音(ね)のみし泣かゆ 朝夕ごとに

良寛という人は、偉大かつ卑小な人で、先人としていてくれて、そして今なお生きる詩人としていてくれて、とても刺激的且つやわらかな存在である。俳句、歌、漢詩の中では、とくに歌の情趣の浸透具合は頭抜けている。普段の思考に近い言葉で残されているためだと思う。

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谷川敏朗
1929 - 2009
大愚良寛
1758 - 1831