読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

竹村牧男『唯識・華厳・空海・西田 東洋哲学の精華を読み解く』(青土社 2021)

現在のグローバリゼーションの時代において、異質な他者との共存を考えるための知恵として、古代から営まれてきた東洋哲学の清華を見直していこうという意図をもって書かれた著作。大乗仏教の根幹をなす唯識思想から、華厳の事事無礙法界を経て、空海曼荼羅世界と西田哲学の超個の個へという歴史的展開を跡づけていきながら、多数の個の世界が関連しながら総体としての世界が成り立っていることを解き明かし、最後は西田幾多郎の盟友である禅者鈴木大拙の華厳思想による相互尊重の現実社会構築への願いに導いていく。著者の思いも相互尊重共存共栄というところにあるには違いないが、その思いの源であり、その思いを支え実現に向けて踏み出そうとしている大乗仏教系の思想のそれぞれの核心部分を、簡潔鮮明に描きだし、さらに時代展開を追って関連づけている著者の知の力の大きさのほうにまず惹きつけられる。
唯識・華厳・空海・西田と、それぞれそれほど明確には知られていない思想の根幹部分が、本書を読むことで比較的容易に理解できるところがすばらしい。とくに大乗仏教の基本的世界観である唯識の解説部分の凝縮度には圧倒された。

「超個の個」を仏教でいえば、『般若心経』の「色即是空・空即是色」、唯識思想の依他起性と円成実性の不一不二、華厳思想の「理事無礙法界」に相当しよう。一方、「個は個に対して個」は、華厳の「事事無礙法界」に相当し、密教曼荼羅世界相当しよう。西田が「超個の個」の背景にあると説く「絶対者の自己否定において多個が成立する」という事態は、華厳思想において、「真如は自性を守らず、隨縁して而も諸法と作る」と軌を一にしている。ただしこの事態は、先に一元的世界があり、後にそこから現象世界が形成されて来るということではない。もとより真如と諸法とは不一不二のあり方にあることを、今の言い方で表しているのみである。
(4 西田の哲学 「仏教の課題と西田哲学」p306 )

ひとりの人間というのは重層的曼荼羅であり他の重層的曼荼羅世界の中でそれぞれの世界を写しながら動的に展開している。他なるものとの共存は、まずはその他なるものの曼荼羅世界を曇りなく写すところからはじめてみるということが肝心で、その方向性は唯識・華厳・空海・西田そして大拙の思想を曇りなく写した本書の実践の見事さが示している。まずは非力であっても本書でなされた仕事を尊び羨むことでいまここでの一歩を確認するほかはない。

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【付箋箇所】
17, 18, 35, 36, 46, 66, 68, 69, 108, 139153, 160, 161, 176, 186, 191, 198, 215, 226, 229, 246, 251, 280, 306, 308, 332, 341, 344

目次:
1 唯識の哲学
2 華厳の哲学
3 空海の哲学
4 西田の哲学
付篇 鈴木大拙の華厳学―霊性的日本の建設

竹村牧男
1948 -
西田幾多郎
1870 - 1945
鈴木大拙
1870 - 1966
弘法大師 金剛遍照 空海
774 - 835