読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

塚原史+後藤美和子 編訳『ダダ・シュルレアリスム新訳詩集』(思潮社 2016)

チューリッヒ・ダダ100周年、アンドレ・ブルトン没後50年の年に刊行されたダダ・シュルレアリスム新訳新編アンソロジー。上下二段組み、236ページ。詩人32名、199篇という満足感が得られるラインナップであった。
刊行の意図としては、美術の世界のダダ・シュルレアリスムは現代においても展覧会や画集で多く触れる機会があるのに、両運動の中心的人物であったトリスタン・ツァラアンドレ・ブルトンをはじめとして、その中心的活動であった詩作については、新刊書店で手に取ることが難しいという、文学全敗の状況に対してのひとつの抵抗の試みということが挙げられていた。何らかのきっかけで、新しい世代にも読んでもらえるようになるといいなと思いつつ私は読み通した。
個人的にはフランシス・ポンジュの作品9篇が収録されていたところにいちばん興奮した。現実的にダダにもシュルレアリスムにも近づき活動していた時期があるということが人物解説で示されているが、詩の印象は他のダダの詩人、シュルレアリスムの詩人の作品の印象とは大きく異なり、ダダ・シュルレアリスムのアンソロジーのなかにポンジュの作品が置かれることで、ポンジュ作品の特異性がより際立つようになっているなと感じ取った。ダダの既存価値の否定、シュルレアリスムの現実と理性の超克、両者の方向性とは距離を置くポンジュの物と言語への徹底した観察と関心は、鮮明な現実の世界を切りとったなかに譬喩による幻想性を注ぎ込んで、平凡なものの世界を祝祭に変容させている。

例えば作品「蝋燭(プジー)」の最終部

けれども蝋燭(プジー)は、本のページの上に明かりを揺らめかせ、独特の煙を発散して読者をはげます――そして最後には受け皿に身をかがめ、その養分の中で溺れてしまう。

これは小沢書店の『フランシス・ポンジュ詩集』の阿部良雄訳では以下のようになっている。

一方、蝋燭はといえば、独自の煙を急に吐き出しながら、本の上に光をちらつかせることによって読者を激励する、――それから自らの台皿の上に身を傾け、自ら食料とするものの中に溺れるのだ。

比較してみると、塚原史訳のほうがやわらかでより日常語に近い語感の言葉を用いながら、現実のなかの幻想的な光景を再現するのに成功しているようにみえる。「その養分の中で溺れてしまう」という大げさにならない日本語譬喩表現をとっていること、この例をみてみることだけでも本書『ダダ・シュルレアリスム新訳詩集』の翻訳アンソロジーとしての方向性と、新訳で新たに紹介することの意味がじんわり伝わってくる。

ほかの詩人についてもいつでもゆっくり味わい直すことができるような本になっているに違いないと思う。

 

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【32の収録詩人】
アポリネール 10篇
ツァラ 14篇
ピカビア 7篇
リブモン=デセーニュ 4篇
リゴー 2篇
ノアイユ 1篇
コクトー 4篇
ヴェルディ 12篇
ヴァシェ 7篇
ブルトン 15篇
アラゴン 9篇
スーポー 7篇
エリュアール 18篇
ペレ 7篇
デスノス 12篇
クルヴェル 3篇
バロン 4篇
ドゥアルム 4篇
アルトー 4篇
バタイユ 6篇
シャール 7篇
クノー 2篇
ポンジュ 9篇
ミショー 7篇
プレヴェール 3篇
ペンローズ 2篇
カーアン 3篇
プラシノス 3篇
マンスール 6篇
セゼール 4篇
イヴシック 1篇
ル・ブラン 2篇


塚原史
1949 -
後藤美和子
1966 -