読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

柳田聖山『禅の語録1 達摩の語録―二入四行論―』(筑摩書房 1969)

禅宗初祖の菩提達摩と初期禅宗の僧たちの思想を達摩の語録という体でまとめられたもの。本文、読み下し文、現代語訳、注釈の四部構成。注釈が充実していて、本文に関係なくこちらだけをつまんで読んでいてもとても参考になる。また、読み下し文もどことなく現代的でやわらかな印象で、あわせて、現代語訳は禅宗内の独特な用語をそのまま用いずに、訳者柳田聖山の解釈を込めたもので、現代の読者に理解しやすいものとなっている。内容自体も、後年の公案集のような人を寄せ付けない難解さはほとんどなく、合理的な論理で読み解ける素直なテクストであることが分かる。仏法が理法であると納得できる全74段。インド人達摩が中国に渡って、中国的な禅の思想の火付け役となったことが、訳注などからも跡づけられている。老子の『道徳経』との親和性がかなり高いことも教えてくれる。

問う、「あらゆる存在が空であるのに、誰が道をおさめるのですか?」。答う、「その誰かなるものがあるなら、道をおさめなければならないが、もし、誰かがなければ、まったく道をおさめるには及ばない。誰かとは、つまり我である。もし、我がなければ、物に対して是非(よろしいとかいけないとか)の心は起こらぬ。是というんは、我が勝手に是とするまでで、相手のものが是ではないし、非というのも、我が勝手に非とするのであって、物は非ではない。たとえば、風雨などの自然現象や、青黄赤白などの色について考えてみるがよい。好きなものは、我が勝手にそれを好むまでで、物が好いのではない。」
([二六]空の真理と修道の主体 現代語訳 p129 太字は実際は傍点)

仏教の経典で繰り返し述べられている主張ではあるのだが、簡潔な表現で分かりやすいところが好ましい。それでいて滅法ラディカル。本書を読んでいる最中、何度もヒュームを読み返してみたい気分になった。

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【付箋箇所】
2, 18, 30, 33, 34, 35, 38, 39, 55, 92, 95, 96, 104, 107, 120, 124, 129, 132, 143, 155, 187, 171, 225, 228, 231

柳田聖山
1922 - 2006