読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジョルジュ・バタイユ『沈黙の絵画 ―マネ論―』(二見書房 ジョルジュ・バタイユ著作集第10巻 宮川淳訳 1972)

1955年刊行のマネ論を中心に、バタイユの絵画論を集めた一冊。マネ論のほかは印象主義論、ゴヤ論、ダ・ヴィンチ論が収められている。共通するのは、ある種の痛ましさに直結するような、絵画作品の恍惚のたたずまいを産みだした画家たちを論じているところ。上品な完成品にはなり得ない、過剰と欠落の混成体。「芸術の根源的な否定性、不可能性」(宮川淳)をカンヴァスに定着させてしまった不遜な画家たちを取り上げ、その特異性に読者の目を向けさせている。
『沈黙の絵画』というのは、主題が雄弁な物語=歴史を語らないマネの絵画を評してバタイユが書き留めた言葉を、本選集の題として取り上げたもの。バタイユのマネ論は江澤健一郎の詳細な解説付きの新訳があり、そちらを読めば用は足りるのだが、いまはなかなか目にすることもない術評論家宮川淳の文章や編集に触れることができるという意味では、二見書房のバタイユ著作集で改めて読んでみるのも悪くはない。収録されている図版とバタイユによるコメントの割り付けなども違っていて(おそらく江澤健一郎版のほうが原著には忠実なのだろうが)比較してみるのも日本語訳だけに可能な贅沢なのだと思う。

宮川淳訳:

マネは静物を見事に扱った。静物はその無意味さによって、彼が描いていた関心――再現された対象はもはや不可欠な口実にすぎず、絵画にこそ本質的な価値を与えようという関心に答えた。

(「アトリエの昼食」1868-69のテーブル上の静物の拡大図版に対するコメント)

江澤健一郎訳:

マネは堂々たる仕方で静物を扱った。絵画に本質的な価値を与えるという彼の課題に、静物はその無意味さによって応えていた。表象される対象はもはや不可欠な口実にすぎなかったのだ。

(「鮭」1866 に対するコメント)

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ジョルジュ・バタイユ
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