読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

1990年の英国祭(UK90)にあたって国立西洋美術館で開催された展覧会のカタログ『ウィリアム・ブレイク William Blake 1990』の第二版(日本経済新聞社 1990)

ニーチェに先立って従来のキリスト教的価値観を超える善悪の彼岸を、自身の詩作と版画と水彩画によって切り拓こうとしたイギリスの芸術家ブレイクの、画家としての業績を、基本的に年代順に紹介した作品展のカタログ。ブレイクは銅版画家、挿絵画家が生計を支える本業で、依頼のあった作家の作品に挿絵を提供するとともに、ブレイク自信の詩作品もエッチングもしくはエングレイビングという版画の技法を用いて自分の挿絵とともに印刷販売していたこともあり、その作品数はかなり多い。下書きのスケッチや水彩画を含めれば日々休むことなく生み出されていたようで、そのなかでこの展覧会用に完成品をピックアップしただけでも作品点数は104点、複数のプレートからなるシリーズ物が多いため個別に作品を数えあげていけば300点を超えるボリュームになっている。
思想的には初期の『無心の歌・有心の歌』から大筋変わることなく、理性や合理性による制約に疑問を呈し、人間が本来的にもつ感性や想像力の自由な活動の至高性を訴えるのがブレイクの特徴である。主題的には、理性によって行われた最初の世界創造が規範による抑圧を隠し持っているために否定的に評価され、逆に悪の側に堕ちたとされるサタンの姿が英雄的に描かれているろころなどに、異端の香りが充満している。
パトロンには比較的恵まれていたものの、ブレイクの世間受けしない思想と芸術のスタイルと、けっして妥協しない自恃の心で、各所で対立を生み、商売的にはうまくいかなかったようである。60歳を過ぎて貧困のために知人たちの助けによってやっと救済されるくらいの経済的落ちぶれようであった。それにもかかわらず、詩作も絵画作品の制作も一時も止むことなく、70歳で亡くなるまで技術も思想も洗練させ、表現しつづけていったというところにブレイクの凄まじさを感じる。それとともに幸福な生涯であったであろうと羨ましくも思った。死ぬまで休みなく躊躇することなく自分の道を歩み続けたブレイク。ミルトンやダンテばかりでなく聖書にまでもケチをつけながら、天国と地獄がある善悪二分の唯物的な救済をもつ世界観を排し、想像力による善悪を超えた無限の展開に道筋をつけようと創作活動に邁進した姿、そしてその活動が生んだ作品の数々は、簡単に消費されることなく妖しい影響力を持って今も生き続けている。
技術的には類型的な人物やポーズを繰り返し用いていながら、人物の配置や、微妙に異なりながら心理的なものを的確に描き出している視線や口もとや手の表情に、霊的な躍動感を感じさせるところが凄い。とくに壮年期から老年期にかけてのペンと水彩で描かれた透明感のある作品のかずかずは、見るたびに興味深い味わいを出してくる。多くはブレイクの預言の書でも書かれたブレイクの神話体系にもとづく形象で、このカタログでは作品ごとにかなり詳細に解説をしてくれてはいるのだが、やはりブレイク自身の作品を自分で体験して見ないことには、よく感じ取れないところが残るのは仕方がないところであった。
日本訳では限られた出版物しかないが、前期代表三作『無心の歌』『有心の歌』『天国と地獄の結婚』以降のブレイクの詩作品に触れて、彼の思想により親しんでから、改めてブレイクの画を見直してみたいと思わせるに充分の、ブレイク導入書であり研究書であった。展覧会カタログでここまでしてもらえれば、文句のつけようがない。


ウィリアム・ブレイク
1757 - 1827