読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ひろさちや『空海入門』(祥伝社 1984, 中公文庫 1998)

学問的入門書というよりも、司馬遼太郎の『空海の風景』と同じく、資料を調べながら著者の想像の肉付けを加えていった小説風人物伝といった味わいの一冊。
空海平安時代に唐から密教を日本に持ち帰ったのではなく、密教系経典を持ち帰ったうえで密教そのものを創造し体系化し完成させた天才的人物であるというのが著者ひろさちやの見立てである。そして仏として生きる模索が密教であり空海の人生であったと説く。高級官僚養成所たる官制の大学をやめて、国の許可を得ない私度僧として山林で修行をはじめたころから、空海の思いは揺るぎないもので、仏の境位に到達することと仏の行為を為しつづけることに、迷わず邁進していたと空海を捉えている古者は、資料的に空白の期間や、事の経緯が残されていない大きな出来事について、空海であれば何をいちばん優先させて事にあたっていたかを想像して、空海像を描き出している。資料がないので正解とも誤りとも言えぬ一つの解釈であるのだが、ほか研究者による空海とは一味も二味も違った神話的で濁りのない空海の人物像は、ひろさちや密教空海に対する熱い思いが生み出す生気も加わって、生き生きと躍動している。

空海が本当にやりたかったこと――。わたしはそれを明瞭には書き洩らしてきたが、それははっきりしている。
衆生済度」――である。
民衆の救いだ。民衆の解放だ。それをやるために、彼は最初の最初から仏陀になった男である。仏陀の仕事をやっている男である。
(第三章「海を渡る空海」p92-93 )

仏道にすすむ申し開きとして『三教指帰』を書いて大学をやめ、山岳修行に入り、日本では解き明かせないことが出てきたがゆえに唐に渡り、唐では留学先に向かうことよりも仏教の真の言葉である梵語梵字を学習するためにインド人僧と交流することを優先し、また師となるものの教えを受け終わった後は官令に反してまで日本での伝道にすぐに方向転換の道を切り拓いてゆく。空海は迷いのない理のある直情の人である。仏道だけに限らず、決壊した満濃池の改修などという技術的なことにまで、人間救済の思いから積極的に取り組んでいる。まさに仏を地で生きているのが空海であるということが、ひろさちやの筆によって鮮烈に描き出されている。想像的な部分が多い印象はあるが、その想像が空海をより生きた人物にしているところがすばらしい。空海に関する知識よりも、空海の魂に触れることを目標にして書かれた一冊なのではないかと思う。

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【付箋箇所(中公文庫)】
25, 41, 57, 63, 78, 82, 92, 120, 145, 177, 185, 191, 207


空海
774 - 835
ひろさちや
1930 - 2022

 

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com